(安慶名城跡/安慶名闘牛場)

「安慶名城跡」はうるま市の中心部の「安慶名集落」にある城跡です。15世紀の琉球三山時代から16世紀にかけて同城を拠点に沖縄本島中部一帯を三代にわたり支配した安慶名大川按司の拠点として知られ、1972年5月15日に国の史跡に指定されました。県道8号線沿いに広がる「安慶名中央公園」の中に「安慶名城跡」を始め、安慶名闘牛場や遊具などが整備された緑豊かな憩いの場として地域住民に親しまれています。


(安慶名城跡入り口)

(安慶名城跡の中腹)

「安慶名集落」に流れる天願川の周辺に隆起した珊瑚石灰岩の岩塊の断崖と傾斜を利用した山城で、天然の岩と岩との間に石垣や城門を構えています。「安慶名グスク」の特徴は緑豊かな自然と岩塊とを最大限に活用した堅固な城である事です。城の構造は外側と内側に二重の石垣を巡らす様式で、沖縄に現存する唯一の輪郭式グスクです。城の北に水源が豊富な天願川が流れていて、その別名が「大川」であったことから安慶名城は「大川城」という別名でも知られています。


(安慶名大川按司の墓)

(安慶名グスクの城門)

琉球石灰岩で創られた石段を登って行くとグスクの中腹に「安慶名大川按司の墓」が現れます。鍾乳洞に石垣が積まれた墓には歴代城主であった安慶名大川按司一世から三世の三代の魂が安らかに眠っているのです。さらに石段を登り進めると安慶名城の外郭と内郭を繋ぐ「城門」に辿り着きます。城門は自然の大岩をくり抜き、側面には切石を平らに積み上げた壁が施されています。この城の主郭へと続くトンネルには神秘的な力が宿り、訪れる者を城の内部へと誘ってくれるのです。


(安慶名宇志仁大主の石碑)

「安慶名グスク」内郭東側の城門近くにはウガンジュ(拝所)があります。ニービ石造りの古い石碑には「天帯子御世(テンタイシウユウ) 安慶名宇志仁大主(アゲナウシジンウフヌシ) 中が世丑(ウシ)のみふし」と記載されています。つまり「天帯子」の琉球三山時代に「安慶名宇志仁大主」の石碑が「丑のみふし」により建立され祀られた事を示しています。石碑には幾つもの霊石が供えられ崇められています。


(具志久美登繁座那志の石碑)

内郭西側の城門の岩の上にあたる山の頂上付近にあるウガンジュです。石碑には「天帯子(テンタイシ)の結(ムス)び 具志久美登繁座那志(グシクミトウハンザナシ) 中が世うみない母親」と彫られています。「天帯子」の琉球三山時代に「具志久美登繁座那志」の神様を祀る石碑が「うみない母親」により建立された事を意味しています。ニービ石造りの石碑に石造りのウコール(香炉)が設けられ、そこに霊石と陶器のウコールが祀られています。


(大兼久眞澄繁座那志の石碑)

これは城の外郭東側にあるウガンジュ(拝所)です。石碑には「天正子(テンシヨウシ)の結(ムス)び 大兼久眞澄繁座那志(ウフガニクマスミハンザナシ) 中が世うみない母親」と記載されています。「天正子」の時代に「大兼久眞澄繁座那志」の神を祀る石碑が「うみない母親」により建立された事を示しています。この石碑にも石造りウコール(香炉)が設置されており、そこに陶器のウコールと霊石が祀られていました。


(安慶名グスクの外郭)

(外郭の先にあるガマ)

「大兼久眞澄繁座那志」の拝所の先には城の外郭が続いており、外郭の上を歩いて進めるようになっています。外郭の行き止まりは小さなガマ(鍾乳洞)になっていて、外郭へ城の外部からの侵入を守る為の拝所である可能性もあります。沖縄の城の多くが直線上に郭が連なり奥に主郭がある連郭式と呼ばれる様式である中、岩山に築かれた「安慶名グスク」は中心部に主郭を置き、それを取り囲むように中腹に郭を巡らした沖縄県内では非常に珍しい輪郭式と呼ばれる様式を取っています。



「安慶名城跡」にはガジュマル、ソテツ、亜熱帯の草木が生い茂っていて豊かな自然に覆われています。かつて「安慶名グスク」の丘陵から湧き出た井泉の恵みにより集落が形成され、そこに文化が生まれて先人の暮らしが継承されて来ました。古代琉球の三山(北山、中山、南山)時代から変わる事なくうるま市の「安慶名集落」を見守る古城は、周辺地域の守り神であり神聖なパワースポットでもあるのです。