昨日ブログでお願いしたり
知人友人伝手で集めていただいた救援物資が
こんなに集まりました

すげー

いまだかつて見た事ないようなりょうです
こんだけ皆様の愛をあずかったので
うかうかしてられません
早速第一次救援物資を配送する事に
でもここで問題が…
俺のハイエースじゃ積みきらん&燃費悪い…
ってことで
車をお借りしました
ハイエーススーパーロングハイルーフ2.4ヂーゼル
荷物満載でも12km/L以上走る出来るやつ!
素敵です!
でも容量は一杯一杯でした。
荷物と、自車用の往復燃料と自分のご飯を積んで…
パンパンです

で出発
今回素人が被災地に赴く事に
賛否両論あると思います
正しいかどうかなんてわかりません
でも行くに当たってはいくつかルールを決めました
①自分の事は自分で⇒燃料食糧身の安全、現地の物資を消費しない
②無理はしない⇒もし途中で燃料や道の状況に不安を感じたらすぐに引き返す
③変な感情を捨てる⇒現地に残って復興する!!とか、その場感情的な行動をとらない
これらを胸に
いざ被災地へ
思ったよりも道の改修は進んでおり
日本の土木業の凄さを痛感
で
仙台市内へ
仙台市内は
停電はしてましたが
ビルが倒壊しているとかもなく
壁が割れてるとか天井落ちてるとか傾いてるとか
そんな感じでした
最初は45号(最短海沿い)で北上しようと思いましたが
走ってみると流された車が折り重なっってたり
遺体の収容もままならない状況であるとの話もあり
まだまだ車が通れる感じでは無かったので
裏道で抜ける事に
で実家へ
実家は壁崩れたり基礎が崩れたりした程度で無事でした
親父は復興で町へ出ているとのことで会えませんでしたが
母親と10分くらいお茶のんで感動の再会を楽しんだら
救援物資を届けに避難所へ
物資を集める本部の柳津小学校に行くと
(柳津小学校の写真は削除させていただきました)
『らずもね量だなや』と驚かれるほどの量
第一パン提供のパン4箱とかも
凄い喜んでましたし
なにより女性用の医療品や子供服等が凄くありがたがってもらえました
これから被災者40名を追加で受け入れる準備をしていたとの事で
物資は有効に活用してもらえそうです
現地は
関東で報道されているような感動的な再会などはありません
皆周りに迷惑をかけないように
粛々と、でも必死に生活を送っていました
今一番欲しいのは
関東近郊でも品薄パニックになっている
燃料です
関東じゃ隣の家に歩いて行けるかも知れませんが
田舎じゃ1km単位で移動しなければならないところもあります
関東も寒いですが
東北ではまだ3度とかの体育館で寝ています
燃料や物資の買いだめは
是非控えてください
いつも通りの行動をすれば
いつも通りの生活が出来る範囲の人たちは
いつも通り生活してください
話が飛んじゃいましたが
おかげ様で皆様から頂いた大量の愛を
現地の皆様に届ける事が出来ました
んで
さて帰るかと思ったら
避難所のリーダーが
何やら相談が有るとの事…
聞くと
東京から南三陸ホテル観洋(親父の職場でねーすか!!)に観光に来ていたツアー客が
帰れず難民に成っているとの事
連れて帰って欲しいと…
現地は連絡手段もなく
行方不明者として扱われてるとか
なのでおば様数名を乗せて
いざ関東へ
帰りも順調でしたが
福島を過ぎたあたりから
大量の県外脱出難民や
コンビニ、GS渋滞などもあり
1時間10kmしか進まない大渋滞
たまんね~
燃費が良くて良かった~
で栃木でおば様方の旦那様と落ち合って
感動の再会
難民のおば様とバイバイして
帰宅
これが一連の流れです
皆様の支援おかげで無事に全行程を終了する事が出来ました
物資もそうですし
工程でアドバイスや情報をこまめに連絡してくれたり
現地で状況を知らせてくださった方
このどれが欠けても
自分が東北に救援物資を運ぶ事は出来なかったと思います
難民も救う事が出来ました
今回協力して下さった皆様
本当に心から感謝させていただきます
有り難うございました
第二次救援は
情勢を見ながらまた決めたいと思います
燃料を200Lくらいもっていこうかとも思いましたが
石油会社はもう動きだしてるとの事なので
燃料事情も見てからにしようかと
そういえば
帰ってTV見てたら
観洋での行方不明観光者
見たいの流れてて
ちょと笑っちゃいました
もう帰ってるっつーの
後藤値☆4名救助