私の従兄弟は音楽家ー後編 | イタリア・フィレンツェでいまを生きる

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ハッと気づいた事、日々のこと。
ちょっと特別なことなど書いています。職業は「ぴろこ」です。


皆様、色々なコメントをありがとうございます。
朝早いのにわざわざ「シャキーン!」を観て下さった方、
わざわざ彼のサイトに試聴に行って下さった方、
トップランナーに出ていたのを覚えて下さった方・・・その他もろもろ!!
嬉しいデス!

はっきり言ってこんなに反応が返って来るとは思っていなかったので・・・。

 嬉しさ込めて後半です。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

・・・・私は出産を日本でしたので、娘を連れてイタリアに戻る時には当然日本からチケットを取らねばならなくて、片道を捨てたり出来ない性格のため、6ヶ月FIXチケットというものを購入し、行ったり来たりしていました。

去年の春に義母の肺がんが発覚してからも、
私は事情があって一度娘とまたもや帰国をしていました。
(鬼嫁・・・?いやまだ嫁やなかった・・・)
その時に従兄弟が(以下ハヂメ君)遊びに来て
たまたまモシモシとビデオチャットをしていたので、
イタリア家族をビデオ越しに引き合わせることにしました。

 すでにハヂメ君のCDを聴いて感動していた義母は
抗がん治療ですっかり髪の毛がなくなってしまった姿で
(たしかバンダナは巻いていたと思うけど)
「あなたの音楽は特殊で本当に素敵だわ。いつか本物が聴きたい」
というような事を彼に言いました。

 それを聞いて「いや~行かなあかんな・・・行きたいな」
とつぶやいているのはなんとなく覚えていました。



 そのあと、昨年の11月に私の母が、入院をしたので
フランスから戻っていた私の姉がいたものの、フランス人の親戚を呼んでいたため、母の事まで手が回らないとの事で私も娘を連れて急遽日本に戻る事になりました。

 帰るや否や時差ぼけも手伝ってなんとか死に物狂いで家を片付け、母の見舞いに行き・・・姪っ子の幼稚園(1ヶ月だけ留学していたので)の送迎などをしてヘトヘトになっている頃。

ハヂメ君から電話があって
「みんなに会いに行きたいんだけど」と電話が入り、ある日
観光を早めに切り上げて帰って来たそのフランス人の親戚とともに、彼と奥さん(めちゃ美人!)息子ちゃん(美形☆)を迎えました。

 正座をして何を言うのかと思いきや・・・
「ヨーロッパで演奏してみたいから協力してくれないかな・・・?」と。
 父の仏壇の前で何曲も弾いてくれました。

その一言でどうにかこうにか、この1年かけて色々、姉と私で準備をして、
なんとこの11月実現します!!!!
パリで一回、フィレンツェで2回、ローマで1回。

私がハヂメ君から初めてこの話を聞いたとき、
(教会で演奏する姿)が浮かびました。

フィレンツェではプロのオーガナイザーの方にアレンジして頂いたのですが
なんと!偶然にも(いや、間違いなく必然)ポンテベッキオのたもとの
教会ですることに決まったのです・・・う~ん、すごい。
ワタクシのイメージトレーニングの勝利です。

さっき、姉に教えてもらって彼のホームページを覗いてビックリしたのですが
日本語の1ページ目の上の方にヨーロッパツアーの案内が音譜
上の方にあるヨーロッパツアーの画像はイタリアで貼られるポスターです。

同じデザインのチラシを明日フィレンツェに配りに行くのですが・・・
石畳を数時間歩くのって、なかなか応えるのよ~~~
あそこに行った後の数日は筋肉痛になるんです。
で、今回は何千枚のチラシも持って歩くので
その上おじいに預かりを拒否されたら娘も連れて行くので
すーっごい大変なんです・・・。

 でも・・・ココまで来たんだから頑張って来ますわ。
で、11月の日記にはそのコンサートの模様も書けたらいいなあ、と思います。

いや~~~~色々やりました。
勉強させられました。考えさせられました。交渉なんかもしに行きました。
家族のこともいつもよりも真剣に考えました。
泣いたりもしたし、大喜びもしました。

あとは、彼らが来て一番良い所で(どこだろ?)のこぎりの音色を
身体で感じたいなあ、と思います。

 私には見えます。
会場である教会はイタリア人で溢れかえっていて、その中で盛大な拍手を受けている彼を。
イメージトレーニング中(笑)ニコニコ

彼の作った曲で一番好きなのが「光のさすほうへ」
お腹の娘と一緒に聴いたのもこの曲。

あの曲にぴったりだなあ、と思って撮った海での早朝の一枚。
足下の砂はまだ夜の冷たさを持っていたけど、
日差しはあたたかく、本当に眩しかったです。

umi1