常に相反する



飛距離と精度。








両立させるためには相応の鍛錬が欠かせない。









スイングは



形が作るのではなく


意識が作ると思っている。




ヘッドをボールに当てることに必死な人には


まったく理解できないことだろう。






私はいつもクラブを振りたい。



ボールを打つための努力ではなく


いかにスムーズにクラブを振るかを意識したい。







力を抜いて窮屈に。





トップでは


きゅーーーーっと縮まりたい。




バックスイング~トップで大きく伸び伸び上げてしまうと


インパクトでスイングが終わってしまう。







バネのように


伸びる前に小さく縮こまる意識は




飛距離と精度を両立させるための


唯一の手段だと思うから。











低い天井と


右の壁が




自分の体を押し付けるように。







バックスイングは小さく小さく。



窮屈に。







フォローで伸び伸びと振るための


大事な準備だと思っている。







右ひざ


右ひじ


右脇(右肩)






人の関節は


窮屈さを拒もうとする性質がある。





どうしても苦しくない方を選びたがる。





これは本能であり無意識。


この本能を押さえ込むのは容易ではない。





しゃがみ込むように


低く低く。



バックスイングの円は


できるだけ小さく。






筋力や柔軟性が必要な理由は


このためにあると私は理解している。



脱力の理由もそこにあると理解している。







窮屈な動作はどうしても力みがちだ。





その窮屈な姿勢を


いかに力を抜けるかどうかで



ヘッドの走りや体のスムーズな回転が決まると思っているから





脱力と窮屈さをワンセットにしたい。






何のために力を抜くのか


緩めずに脱力するという矛盾が必要なのか





そこに再現性のコツがあるといつも意識していたい。









トップは小さく。



トップは低く。



トップでこそ脱力。






どこにクラブを上げるとか


どの位置に手を持っていくとか


どんな形が理想だとか







そういう理屈や机上の空論や


形ではなく




あくまでも意識やリズムを主体にスイングを作り上げたい。







プロのスイングを比較してごらん。



同じトップの人なんて皆無だから。






もし本当に理想の形があるのなら


それが本当に正しいのなら




みんな同じ形になるはずだ。


みんな似たような形にならなければ説明がつかない。







形や理想がスイングを作るのではない。









ある程度の制約は必要だけど


その制約や型が主体となるスイング作りは





14本もある道具で


毎回打つ状況が変わるゴルフ場でプレーしなければならない




ゴルフというスポーツにはそぐわない。






まっ平らでプレッシャーも芝もない


練習場がゴルフというスポーツを競う場所なら



形優先でいい。





ゴルフが野球やテニスのように


一本の道具で平らな場所でやるスポーツなら



形優先でもいい。






ゴルフは違う。





打ち上げも打ち下ろしも


つま先が下がっても上がっても


フェアウェイもラフも


芝も砂も


250yも10yも




同じ形は通用しない。





平らなライなどひとつもないゴルフ。




長さが全部違う


重さも形も全部違う



14種類の道具。






揃えるのは




形や位置ではなく


意識とリズムだ。









ティーグラウンドも


傾斜地も砂地もグリーン上も



250yも150yも50yも10yも







全部共通させたい。





違うのは


準備と振り幅だけにしたい。








窮屈さと脱力は


それを叶えるための大事な意識。








後ろは小さく窮屈に。






ふたつとない状況を


どんな距離でも状況でも





ソツなくこなしたい。









形を追うと


練習場とコースで別人となってしまう。




経験で学んだ


私の指導者としてのひとつの答え。









形ではなく意識を作りたい。






コースで。



あくまでもコースで。








練習場の練習はその準備に過ぎない。








ゴルフはスコアを競うスポーツ。


スイングの形や美しさを競い合う競技ではない。






不自然でキツい姿勢こそが再現性の源。



その窮屈さの結果が「形」だと私は思っている。







トップでフェースをどう向けるとか


トップで手をどこに持っていくとか





それはすべて「窮屈な姿勢」の結果。











トップの形はいつも



”窮屈な意識の結果”でありたい。






力を抜いて



小さく低く窮屈に。







平らなティーグラウンドから


極端な傾斜地や砂地に至るまで




すべてを一緒にするために。




脱力が


下半身の緩みとなってしまわないために。








トップは結果。

































「形」ではない。