ゴルフブログではないので



それしか興味のない人はどうぞ他のブログへ。














体罰を必要だと思う人は少なくない。











いや


むしろ多いと言ったほうがいいだろう。









「悪いことをしたら罰を受けてしかるべき」



そう思う人が多いのは自然なことなのかも知れない。






じゃあ












罰とは



誰のためのものか?












他人に罰を下せる権利を持つのは






いったい誰なのか?













ジュニア時代


私もご他聞に漏れず厳しい体罰を受けた。






・上下関係の厳しい規律を徹底して守らせること


・やる気のない態度への戒め


・結果が出ないことへの罰






今思い出すと


その理由はこんな感じだろうか。









体罰は顧問のコーチではない。


先輩たちから受けるだけだった。






それが私にとって


本当に必要なことだったのかどうかは







正直今でもわからない。









でも





そのおかげで


ゴルフが上達できたかと言えば





それはNOだ。








厳しいさから学んだものは数え切れないくらいある。







でもそれは


「他者からの支配」ではなく





毎日朝4時半起きだったとか


始発に乗っても駅から学校まで走らなければならなかったとか


毎日一生懸命練習したとか


毎日嫌と言うほど走りこんだとか






けっして


けっして暴力的な厳しさからではない。








強制から得られることもある。


それは否定できない。






強制がなければきっと


あんなに練習はできなかっただろうし




自主的には


きっとあんなにトレーニングできなかったと思う。








それくらい弱い男だった。



私は。








自分の知らないことは


強制的にやらされることで学べることも知っている。





でもそれはけっして


暴力的な支配から強制されたものではない。











怖い怖い先輩が居て


対照的な穏やかで優しい先輩も居て






アメとムチをちゃんと使ってくれた。







それは強く覚えている。





頑張って結果を出せた時は


自分のことのように喜んでくれる人達だった。









部のキャプテンを自殺に追い込んだ顧問は


「強い部にするためには体罰が必要」だと言っているそうだ。





そこに信頼を持つ部員だって当然いただろう。


実績を評価する親だって多かったはずだ。








でも





何も悪いことをしていない


一生懸命頑張っている生徒を






殴ることで何を教えようとしたのか?










体罰が常習化している教員や顧問


運動部のコーチや監督は







どんな権利があって他人に危害を加えるのだろうか?













教育委員会の聴取では




現在


そこを答えられないでいるという。









答えられないということは





結局


子供のためではなく







「自分のための暴力」だったのではないのか?




そう思わざるを得ない。











強くなるためなら


勝つためなら何をしてもいいのか?






体罰のない部は本当に強くはなれないのか?








中学であれ


高校であれ大学であれ





強い部はすべて体罰でその地位を築いたのか?












子供を自殺に追い込んでまで


それ以上に大事なものが本当にあるのなら










指導者として教えてほしい。




それが何なのかを。














部員たちの中には


早くバスケがやりたいと言っている奴もいるという。





キャプテンが自殺してもなお


同じ部員やその親たちが平気でそれを言える雰囲気が










実に恐ろしい。













暴力と威圧でしか


子供たちを支配することでしか強くできないのなら






それは



”指導力のない人間”のやることだと指導者として思う。












確かに


心を支配すれば指導はたやすい。






宗教や


企業教育と同じで


親子関係と同じで





ゴルフのコーチとして


その方が楽だ。








自分に甘い万年アベレージには


ぶん殴ってでも練習をさせるのが一番即効性があるだろう(笑






いい大人のくせに




口ばかりで


理論や主張は超一流で




行動と実力がまったく伴わないアベレージには(笑










私は指導者としては


厳しい方だと自分でも思うが(笑






その厳しさは




個人的感情でも


発作的にキレたものでもなく




上達させなければならないという「責任」があるからだと自覚している。







もちろん



その責任を果たすために暴力が必要だとは思えないし


力で支配したところで当然そこに信頼や信用は根付かない。








努力をさせる手段として暴力を使うことを




努力しないことを「罪」であるかのように言う


「体罰」という言葉自体がとても嫌いだ。











体罰は






決して罰ではない。










ただの暴力であり



支配欲の象徴であり



権勢欲の証明であり











虐待やDVに繋がるものでしかないと私は思っている。










暴力で従わせることを教え込んだら







その子は将来


暴力を持って恋人や家族を支配してしまわないだろうか?












本当に「体罰」と呼べるものだったのか





虐待なのか


暴行障害事件なのか





それとも





殺人に等しい



人の心を追い込んだ


人間としてあるまじきそれこそ「罰」を受けるべき罪深きき行為だったのか









私なりの答えはある。















「体罰は必要だ」と思う大人達に聞きたい。







体罰とは何か?



何が体罰か?







どこまでが体罰か?











暴力で反省させて


体罰という手段で厳しさを教えて






他人に何が伝わるのか?


他人の何が変わるのか?


他人の何を変えたいのか?







教えて欲しい。







人はそこをちゃんと


理性を持って自分をコントロールして




使い分けることができるのか?








そこまで考えた上で


それでも「体罰は必要だ」と言えるのか







聞きたい。












どうしようもない人間は


いつの世にも存在する。





いじめをするような

人の心もわからないような奴と


平気で他人に危害を加えるような奴と


人を平気で傷つけたり殺したりするような奴と





バスケを頑張って


キャプテンにまでなった子を





同じ土俵で


同じ目線で


「体罰」という同じ言葉で考えていいのか?








その顧問に聞いてみたい。













「体罰」という言葉ひとつで


それらを一緒にしてしまっていいのか?






犬だって猫だって


子供にそんな「教育」はしないというのに。











体罰を良しとするすべての人達に問いたい。







それは




誰のための拳なのか?


誰のための掌なのか?





一方的で傲慢な


怒りの感情は本当にないのか?




発作的に


感情的に手を出したりはしていないのか?











本当に愛情のこもった


殴られる方よりはるかに痛い






心の拳なのか?









そんな教師や顧問や監督が


この世にいったいどれだけ存在するのか?











「体罰は必要だ」と思うあなた自身は


自分にそれを言える資格や権利が本当にあるのか









あなたにそれができるのか











教えて欲しい。















限度とか




境目とか




状況とか




立場とか







何が許されて


どこからが許されないのかをちゃんと線引きできているのか?










「他人への体罰は必要だ」と言う人間達から




私はちゃんと聞きたい。












自分の子が悪いことをしたときに


責任を負って本気でぶん殴ることと







部活を強くするという名目で


頑張っている生徒を他人がぶん殴る行為を









なぜ一緒にしてしまうのか聞いてみたい。















厳しさを


暴力で伝えるような指導者など存在してはならない。







親も同じだ。













それは指導ではなく







教育でもなく


























支配だ。












私の価値観では。