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ざっくりとミャンマーとは
では、鎖国状態だったミャンマーが開放に向かってると書きましたφ(.. )
では、なぜ、開放(民主化)に向かったのか、シンプルに説明したいと思います。
ミャンマーでは、1988年に軍事クーデターが起き、軍事政権に完全に移行しました。
そして、その軍事政権は、
「ビルマ建国の父」として敬愛されている、
アウンサン将軍の娘、
「アウンサン・スーチー」氏を、
何度も、自宅軟禁してきたのです!
アウンサン・スーチー氏は、民主化運動の指導者と呼ばれています。
軍事政権にとっては、
民主化運動を率先するスーチー氏の存在は、
邪魔なものだったのです。
そこで、ミャンマーに、
民主化を進めたい、欧米諸国が、
軍事政権に対して、
経済制裁を始めたのです!
米国は1997年にミャンマーに対する新規投資を禁止しました。
この制裁発動以前に投資していた事業の継続は認められたものの、
米欧での消費者不買運動等も高まり、
多くの米欧系企業が撤退に向かうこととなったのです。
2003年に、民主化運動のリーダー、スー・チー氏が再び拘束されたことによって、
米国は対ミャンマー制裁法を新たに制定した為、米国の経済制裁は始まりました。
経済制裁はどのような内容だったのか
この法律は大きく分けて5つの種類の経済制裁を含んでいます。
具体的には
⑴金融サービス規制
⑵新規投資規制
⑶ミャンマー政府・軍関係者等へのビザ発給制限
⑷ミャンマー製品輸入の米国規制
⑸軍関係者など特定個人の資産凍結
の5項目であります。
このようにして、ミャンマーは欧米諸国との交流を経つことになります。
しかし、中国だけは別でした。
軍事政権は、中国との繋がりがあり、
中国の、対ミャンマー投資は増大していきます。
ミャンマーは、世界最高級のルビーや、
サファイヤ・翡翠が採掘される国です。
また、良質なチーク材があり、
天然ガスが豊富にあります。
中国は、ミャンマーの豊富な資源に目をつけていたのです。
そして、ミャンマーから中国まで、天然ガスのパイプラインが引かれました。
欧米諸国は、中国のミャンマーでの独占市場化を嫌がり、
ミャンマーへの進出のタイミングを伺っていました。
そのタイミングで、
ミャンマーでは、
2010年11月に、20年ぶりに総選挙が実施され、
2011年3月にはテイン・セイン氏を大統領とする新政府が発足し、
民主化勢力との対話や改革・開放路線を歩み始めたのです!!
以降、
2012年に、
オバマ米大統領のミャンマー訪問
2013年に、
安倍総理大臣のミャンマー訪問
などで、
益々、民主化の流れが進んでいます。
ミャンマーは大きく動き出そうとしています!!