神武天皇即位紀元
二千六百八十年
卯月二十一日火曜日

皆様、今晩は🙌
下元景太です😊
皆様って我が皇国史を外国人の方に
話せますか⁉️大抵、
素人は我が皇国🇯🇵の
食べ物とか美味いとか
どうでもいい話題を出します💡
これって外国人からの笑われ者ですよ🤔
さて、本日は第16代仁徳天皇 
民の竈伝説について語ります。
簡単に云えば臣民は税で
苦しむ中、仁徳天皇は
古代臣民を助ける為に
自己犠牲を払って
宮をぼろぼろにして迄
臣民を救ったと云う
伝説です。ではその内容を
説明しましょう✨
仁徳天皇四年の2月6日、
天皇、群臣に詔をして曰く
「高台に登って国を望むと、
国内から煙が登っていない。
思うに、民はもう
まったく貧しく、
炊飯できるほどの
食料も家に
ないのではないか?…
こういう話を
聞いたことがある。
"良き君主の世には、
人々は歌を歌い、
家々もやすらか"という
歌が古の世にあったと。
今、朕は国政にあたって
3年になった。
歌声は聞こえてこない。
煙もまったく登っていない。
つまりは、五穀が実らず、
民は窮乏しているのだ。
畿内ですらそうなのだ。
他の国では言うまでもなかろう。」
同年3月24日、詔して曰く
「今より以後、三年に至るまで、
全ての庸調(課税)、
労役を免除し、民の苦しみを
取り除くのだ」と宣った。
この日から、破れて
ボロボロになるまで
衣服や靴をつくらせず、
腐っていない食料は
取り替えず、宮殿の塀や
屋根が崩れても
修繕しなかった。
風雨が隙間に入り、
衣服を濡らした。
屋根から覗く星々が、
床をあらわにした。
こののち、天候も季節に従い、
豊作となった。三年の間、
民は豊かになった。
民は日々の暮らしを
謳歌し、炊飯の煙も
立ち上るようになった。
仁徳天皇七年4月1日、
天皇は高台から
遠くを見渡すと、
煙がたくさん登っていた。
この日に皇后に語って曰く、
「朕はすでに豊かになった。
心配することは何もない。」
皇后は答えて曰く、
「何をもって豊かに
なったというのですか」
「炊飯の煙が国中に登っておる。
民が豊かになったということだ」
「塀は崩れ、宮殿は壊れ、
屋内でも衣服が雨に濡れる始末。
これのどこが豊かに
なったというのですか」
「天が君主を立てたのは、
民のため。君主というのは、
民があっての存在なのだ。
古の聖王は、民が一人でも
飢えたり寒さに凍えたり
したときには、
政策を見直し、
自らを責めたという。
現在において民が
貧しいということは、
朕もまた貧しいということ。
民が豊かになれば、
朕もまた豊かになる
ということなのだ。
この世では、
"民が豊かになって
君主が貧しい"ということは、
存在していないのだ」
同年9月、諸国の民から
このような申し出があった。
「税も労役も免除に
なってからもう
三年になります。
宮殿は朽ち、政府の蔵は
カラになっています。
今は我々も豊かになり、
道端の落し物を
さらっていく者も
おりません。里では
みな家族を持ち、
家に蓄えが
充分できるほどに
なりました。
もしここで我々が
税を払わず、
宮殿を修繕しなければ、
罰があたってしまいます」
それでもなお、
天皇は税を免除し続けた。
仁徳天皇十年の10月、
免税から6年後にして、
天皇ははじめて税・労役を
お命じになり、宮殿を再築した。
民は誰からも
強制されることなく、
老いも若きも協力し、
材木や土籠を背負った。
昼夜をいとわず
競って働き、程なくして
宮殿は落成した。
このゆえに、仁徳天皇は
現在まで「聖帝」
(ひじりのみかど)
と呼ばれ、讃えられている。
どうですか⁉️皆様、
少しは勉強になりましたか❓
武漢肺炎の危機の中、
民の竈伝説からの教訓を
どう活用するか皆様が応えを出し、
国難を乗り切りましょう☺️