昔の人は偉大だなぁと思うことがよくあります。

同じ人間ではないのではないかとさえ思います。

昔っていっても、どれくらい昔なのかあいまいなんですけど。

 

たとえば、食い合わせというものがあるではないですか。

消化に悪いものを食べるときとか、毒気の強い食物を食べる時には、そこに何かその毒消しというか、プラスマイナスが0になるような食材を持ってきて、食べちゃうとか、逆にこういう組み合わせは食べるべからずみたいな、まるで数学のような食のわざ。

あれも、考えてみればすごいよね。

野生の動物なんかは、もしかすると本能的にやっているのかもしれない。

人間は野生の勘が鈍ってきているから、こういう古人の知恵というツールはありがたいなぁと思います。

誰かがそういう発見をして広めて、こうして後世まで伝えてくれているわけですからね。

 

生魚食べるときの薬味である、ショウガ、ニンニク、ワサビ、ネギ、シソ、ミョウガ。

揚げ物の時には、デザートにスイカとか水氣の多いものを控えるとか。

遠足の時のお弁当やおむすびに、梅干しを入れるとか。

もっともっとあるけれど、今はこの程度しか思い浮かびません。

 

こういう知恵って、スイスでは聞いたことがないな。

20年住んでいて、まだ食の知恵でこれはすごいって思うことに出会ったことが、そういえばないような気がする。

日本人って、実はすごいよね。

 

でね、食べ合わせは古人の知恵なんだけど。

なんかふと思ったのよ、組み合わせの妙ってあるなって。

これするの嫌だなとか、なんかここに行くの億劫だなとか、この要件面倒くさいから後回しにしたいという、なんか氣がすまないことって日常であるじゃない。

そういうのをクリアーするコツって、この組み合わせだったりするよねって。

何氣なく使っていたツールだけど、さっきふと意識して、これも食い合わせみたいな作用があるのかもって、なんとなく思った。

ちょっと違うのかもしれないが。

 

たとえば、あまり告白したくないけど、うちの旦那さんの実家が車で5分くらいのところにあるのね。

まぁ、スープの冷めない距離だよね。

ちょくちょく行ける距離。

何かと行ける距離。

その実家には、お義父さんが一人で住んでいます。

一人で住んでいるから、まあほぼほぼ週一で顔を見に行っている。

わたしも行くようにしています。

お義父さんが大好きで、すっごく会いたいから、、、だとよいのですが、別にそこまでの関係ではありません。

自分の親のところに行くのとは、少々塩梅が違う。

家の中にいてもリラックスできないしね。

実家ってなんか勝手がわかっているから、1年ぶりだったり2年ぶりだったりで帰っても、なんかすぐに馴染むけど、旦那さんの実家はいまだ一空間のままです。

 

で、人って不思議なもので顔をしょっ中見ていると情が湧いてくるものなんです。

あっていないと、距離がなんとなくできる。

もちろん、血のつながった家族や心でつながっているようなおともだちは別ですよ。

それでも、肉体をもった人間だから、実際に経験することの濃度は極めて濃いみたいです。

なので、なるべく特別な用事とか病気でない限りは、旦那さんについて行くことに決めています。

さっきも言ったけど、率先して行きたいわけではないから、どうしても「あんたの手前、行ってやってる」的な思いが心の中にありました。

いや、口に出して言ったこともあるよ、状況が状況だった時には。

今もそういう気持ちが全然ないと言ったら嘘になります。

そういう気持ちを心の中に持って暮らすのが嫌で、どうしたら行きたいと思えるのか、一緒に食卓に座っていたいと思えるか、ちょっと悩みました。

ただ行けばいいって問題でもないし、いやいや行くのは無理無理なので。

 

そこで組み合わせの妙。

わたし、食いしん坊なんです。

おいしいものに弱い。

おいしいものって言っても範疇がちょっと広いから、そこに野草とかハーブも入っているのね。

季節のものだから、まあ今頃はこの組み合わせを活用しています。

お義父さんの家には大きな庭があって、そこには雑草の生えるスペースも十分にあるわけで、そこの雑草の中に春の七草じゃあないけど、わたしのお目当ての草があるので、

 

お義父さんに会いに行く = 野草採集 → 夜のおかずは野草スープ

 

みたいな。

 

そして会いに行って、庭で野草集めてバイバイってわけにもいかないから、自分の好きなケーキを焼いて持っていきます。

せっかく焼いたのに半分以上一気になくなっちゃうのは、もったいないな〜って気持ちがいやしいわたしにはあるのだが、一緒に食卓に座ってほっこりしたい。

美味しくもない市販のクッキーとか一緒にぼりぼりやるよりも、手作りケーキにホイップクリーム、季節の果物、今ならイチゴなんかを添えて出せば、見た目も楽しいし、おいしいし、そういうことが中心にあると、みんなの雰囲気が和む。

 

そんなわけで、わたしたちのコミュニケーションを仲介してくれるのは、食。

これも食い合わせ?

 

すっかり春になれば、庭仕事が待っていて、これはこれで大変だけど氣もちがいい。

自分の庭だったらさらにいいけど、ま、いっか。

地球の一部を小さな天国に変えるお仕事といえば大袈裟かもしれないけれど、どこの場所でも気持ちのいい空間をつくることは、ゆくゆくはそういうことにつながるのではないかと思うから。

小さな聖地。

 

最後まで読んでくださいって、ありがとう。

また頑張って書きます!

みなさまに祝福がありますように。

いや、別に変な宗教ではありませんし、下心もありませんので、ご安心ください。

 

バイバイ。