中国の大学日本語専門(学科)の話をしよう。
中国の大学内に現在、腐るほど存在する日本語専攻/日本語科は、実際に腐っているし、近い将来、淘汰・消滅する。淘汰(募集停止や募集人数減少や学科消滅)は既に始まっている。ちなみに、当局が構想している大学日本語科の生存は3つだけだ。
①一握りの一流外国語大学(北京/上海/西安/大連外国語大学など)
②総合大学の外国語学部(学院)内で、韓国語やドイツ語やスペイン語と同列で置かれる選択的専攻/専門
③趣味用の第二外国語
この流れ・動きは加速している。ご存じのようにトップダウン式決定の中国の決定と変化は速い。要らないものを切り捨てるときは容赦なく無慈悲で清々しい。少し前に発生した天津の爆発跡地を見てみればいい。負の遺産になりそうなら、「記念碑」すらありえん。もともと公園だったのよ!(白目)
これから数回に分けて、大学日本語科が置かれている立場と、そんな中でも生き残り(食い扶持)を賭けて奮闘している現場の様子や事情を、日本語科がどうなろうと知ったこっちゃないパートタイマーで気楽な立場のぼくがお伝えしよう。特に、 上記の②に当てはまる日本語科は、日本語科の存在意義を示そうと、ケツを叩かれ煽られている。「日本語科の存在意義を示さないと、学科お取り潰しになって、みんなクビになっちゃうYO!」 じゃあ、何をすれば、存在意義を示すことができるのだろう?
<いいモノだけ残るシステム>
中国では、なんでも競争になってしまう、人口が多いために。そうすることで、最終的には必然的に優秀なものが残るのだから、誰も頭を悩ませる必要がなくなり、便利簡単楽ちん。
大学での教員評価(昇格条件)は、分かりやすいポイント制だ。例えば、国内一流雑誌(所謂「C刊」)に書いたら1本2p、「ネイチャー」のような世界一流雑誌に書いたら1本5p、それ以外は0.1pなど、学校によって基準が決められている。(追記:その後、2020年12月14日頃に10月に出た教育部告示の更なる詳細通知で、ハイエナ雑誌やゴミ雑誌に書いた論文一掃、書いても0ポイント徹底せよとのお達しが出た)
先生によっては、酒浸りで論文を書けない人もいるし、教育には熱心だが研究をしない先生だっている。そんな人を評価救済するために、研究活動以外の様々な活動にポイントが割り振られている。いくつか紹介しよう。
・教員間コンテストの結果
・学生が参加する諸コンテストの指導者
・学生卒業論文のコンテスト
・学生からの授業評価
・etc...
<外教とは出汁を取ったら捨てられる出汁パックのこと>
学生が参加するコンテストを指導した教師が評価されるのは、分かりやすいとは思う。だが、コンテストについて語るより前に、指摘しておくべき大事なことがある。それは、ぼくの同僚日本人や別の大学に勤務する日本人教師たちを見ていると、事情を知らないアホがたくさんいることだ。
「指導教師」とは、学校当局に結果報告・提出される書類に「指導教師」として記入される教師のことを言うのであって、指導時間が長いとか実際に指導したとか指導アシスタントのことではない。ほとんどの日本人教師は、必然的に「アシスタント」になっている。日本人教師(いわゆる「外教」)は、一番面倒な実際の指導をさせられて、その果実(評価やボーナス)は中国人教師がかっさらうのは、中華人民共和国教育界の基本中の基本。大和田常務が言っているではないか、「日本人教師の手柄は中国人教師のもの」と。そして、「编制」と呼ばれる正規職員リストに入らなければ、それはパートタイマー・ゴミ清掃員の意味だ(「编制」についても、そのうち書こう)。
指導教師でなければ、評価ポイントは全く無いし、評価されない。だから、給料に反映されるはずもない。「指導教師」欄は、常に中国人教師が記入される。いくら、実際に指導したのが日本人教師で、優勝者の横で指導教師ズラして成果アピール写真に写ろうとも、「指導教師欄に記入」されていないなら、まったくの無意味だ。だから、ぼくは、スピーチコンテスト等の指導アシスタントはしないし、したとしても自分にとっての損益分岐点の下で適当にしている。
<学生コンテストは教師のインセンティブ>
評価されるコンテストにも階級が存在する。今回は、そのあたりを詳しく生々しく説明しよう。
日本語教育の業界は、実のところ、システマティックでもなければ、厳しさのない、老人のひなたぼっここ世界だ。激しい競争を極端に嫌う。だから、日本や日本人が主体のスピーチ大会でも作文大会でも、日本語界には権威ある大会が存在しない。「おててつないで、なかよく」のゴッコ世界だ。だが、競争こそが秩序の中国では、学生の日本語コンテストは、日本語科にとって非常に大きな意味を持っている。それは、日本語科の存在証明という意味だ。
<国家級コンテストと省級コンテスト>
まず、コンテストの階級について説明しよう。説明便宜のために、大きく3分類(S,A、B)しよう。
Sクラス…世界級~国家級
Aクラス…省級
----ここまでが意味のあるコンテスト----
Bクラス…上記SとA以外は全てゴミに分類~
SとA(世界級/国家級/省級)だけが評価ポイント対象だ。国家級コンテストと省級コンテストという認定は、教育部直属の日本語専業委員会で認定され、それに基づいて各学校で規定されている。だから、日本語科の先生たちは、ポイントになる国家級か省級コンテストにのみ精力を注ぐ。それ以外は、たとえ学生が一等賞を獲ったとしてもポイントにならない。ポイントは、前回前々回書いたように、教師の個人ポイントでもあり、学校が評価されるポイントの意味もある。だから、在華日本大使館や在日中国大使館が後援しようが日中なんたら学会や協会が主催しようと、参加人数最大級だろうと、なんちゃら世界大会だろうと、国家級或は省級に「認定」「指定」されていないコンテストは、屁のツッパリにもならないゴミ大会だ。ここを理解していない人が、特に日本人教師には多すぎて呆れる。「学生の学習の励みになる」など、よれよれの5角札ほどの価値もない。この点は、はっきり書いておこう。中国では、国家級/省級コンテスト以外はゴミだ! 参加する価値もない(年年歳歳、学校当局を騙しにくくなくなっている側面もある)。
<日本語専業委員会の罠>
中国の日本語科にとって大事なコンテストは二つある。一つは、毎年春(4~5月)に行われる国家級の「中華杯」(中华杯)と呼ばれる全中国日本語スピーチ大会(地区ブロック大会)だ。もう一つは、省級、すなわち毎年秋頃に各省で行われる各省教育局日本語専業委員会主催のスピーチ大会だ。この二つに次ぐ通訳・翻訳・論文コンテストもあるが、上の2つほどの重要度ではない。
さて、この「中華杯」スピーチコンテストと省スピーチコンテストの参加資格を例にとって説明しよう。けっこうオモシロイ。どちらのコンテストも各省日本語専業委員会所属の日本語科のみ参加できる。だから、日本語を勉強している人が誰でも参加できるというわけではない。そこは、日本の高野連参加校のみ甲子園大会出場資格があるのと同じだから、まぁ、理解できるだろう。しかし、こと「中華杯」に限って言えば、専業委員会に所属している全校が参加しているわけではない。ここに最初の「???」が来る。どうして、全校或は多くの学校が参加しないのだ?と。
現在の北京や上海などの直轄市や超大都市は別として、地方の省都にある、地域一番優秀総合大学(一流大学)は、これまでその省のボスとして君臨してきた。吉林省なら吉林大学、安徽省なら安徽大学、浙江省なら浙江大学、甘粛省なら蘭州大学、新疆ウイグル自治区なら新疆大学、湖南省なら湖南大学、広西チワン族自治区なら広西大学、雲南省なら雲南大学など、省一流大学が君臨し、各省の教育界を「秩序正しく」統治してきた。統治、すなわち、地域人材の輩出・配置である。その省を支配するボス大学の細胞(卒業生)が、その省の官僚組織や各大学に入り込んで要職を占めてきた。地域の顔役、まさに「ボス」なのだ。
当然、各省の日本語教育を統括する「日本語専業委員会」も、省のボス大学のトップが歴代の委員長や副委員長を占め続けている(ぼくの住む某省は、この構図の超模範例だと思うアルヨ)。日本で言うところの、九州の各大学の教授陣が九州大学細胞で満たされているのと同じ構図だろう。
各省の日本語専業委員会には、日本語科がある大学全てから委員を輩出しているわけではない。すでにこの段階で選別されているのだ。この委員会に委員を出していなくても、各日本語科は統治(各通知)に従わなければならない。まぁ、各省の日本語専業委員会は、所詮、中央(北京)の教育部直属の日本語専業委員会による指令のサインまとめ役的存在な面が多々あるが。
北京や上海など直轄市の専業委員会は、市内にボス級大学が複数あるため、かなり百家争乱状態だが、地方では一強状態がほとんどだ。そのため、専業委員会は、さながら同窓会状態だから、みな気心が知れている。よくよく聞いてみれば、ほとんどが元教え子、元指導教師の関係だ。そして、もっとよく聞いてみれば、こんな話が根っこにあることが分かるだろう。出身のボス大学から、大学院は清華大学大学院や北京外国語大学大学院に進学したが、その時、合格のために「お世話になった」という物語だ。
「お世話になった」、すなわち、省ボス大学の日本語科ボス先生(省日本語専業委員会長)から、北京の大学院の某先生に電話してもらい、大学院合格に尽力(加点)してもらったという意味だ。もっとよく聞いてみれば、その北京の一流大学院の某先生に指導された博士たちを省ボスの采配で省内の大学に受け入れている。もちつもたれつのいい関係を築いているのだ。うーん、いい話だ。
<ジャイアントキリングは不敬罪>
一流が一流たる故は、二流と三流が存在し、優秀だから一流なのだ。ヒエラルキーには、二流と三流が一流には決して勝てないという固定化された図式が必要なのだ。この図式を一流の側から見ると、一流を際立たせるために二流と三流は存在するということになる。二流と三流は、葬儀会場の花壇の役割だろう。二流と三流の側から見ると、絶対的存在として君臨する一流を憧れ仰ぎ見ることができることが、自分たちの分相応の位置だ。この身分を変えるなど、恐れ多いこと、不敬罪に値すると言っていい。「ジャイアント・キリング」(番狂わせ)なんぞあってはならないし、容認できない。この構図を「守らなければならない」のだ。
すなわち、一流が勝てない大会は、非公認で非正規のお遊戯だから、カウントされないのだ。全校参加だと、ジャイアントキリングが起きかねない。それでは、一流のメンツが潰れる。一流のメンツを守るために、一流校だけが勝つ大会を組織しなければならない。「中華杯」は、その最たる大会だ。例えば、開催地区のある省からの参加校を見てみればいい。一流校から1校と三流校が2校だけ参加している。
だが、勘違いしないでもらいたい、これは「不正」ではないのだ。これは、中国なりの「正義」なのだ。公正よりも「秩序」が優先され、「秩序」維持に資する行為は、正義なのだ。ぼくは、参加しなかった学校の担当者に聞いたことがある、なぜ参加しなかったのかと。逃げ口上が延々と続いた。やれ、参加したい人がいなかっただの、参加期日に間に合わなかっただの、参加の知らせが来なかったのだの。まぁ、参加の知らせが来なかったというのだけは、間違いないだろう。そもそも、参加させる学校にしか参加申込書を送らない場合が多々あるのだから。そのあたりは、各省の日本語界のボスがしっかり差配している。
さて、時じゃなく話を元に戻そう。存亡の危機に瀕している日本語科は、各大学共通だ。同じ悩みを抱えた同志が、日本語専業委員会にたむろしている。一応、かなり事実に基づいて、日本語専業委員会フィクション劇を作ってみた。
<20xx年 某省日本語専業委員会>
委員A:「委員長! 我が校の日本語科は困っています!」
委員長:「どんな困りごとですか?」
委員A:「我が校では、日本語科の予算・人員削減を学校当局から示唆されています。2年以内に、何らかの成果が上げられないなら、実行するそうです!」
委員B:「あぁ、うちも同じです。」
委員C:「あー、うちも、うちも!」
副委員長:「委員長、実は、我が校も同様のことを言われています。」
委員長:「そうですか。我が校も皆さんの学校と同じなんですよ。どこも同じですね。皆さん、これは日本語科存亡の危機です。生き残るために知恵を絞りましょう! 副委員長、何かいいアイデアはありませんか?」
副委員長:「そうですねぇ。近々、毎年恒例の省日本語スピーチ大会があります。これまでは毎年、優勝を一流大学で回してきましたよね。今年から、一等賞の枠を広げてみては?」
委員A:「おお! それは助かります。」
委員B:「いや~、それでは他の学校は成果を出すのに間に合いません。幸い、これまで団体賞は開催校が1等賞を持ち回りしていましたから、この際、大会を各学年ごと、各学年の一等賞を2人にしてみては? 一人は必ず開催校から1等賞。もう一人は委員の投票で決めては?」
委員長:「それは、いいですね。じゃあ、今年から1等賞は各学年別にして、個人賞も団体賞も1等賞は2名と2校ずつということでいきましょう!」
全員:「賛成~!」
<2年後-某省日本語専業委員会>
委員B:「委員長! うちの日本語科は困っています!」
委員長:「どんな困りごとですか?」
委員B:「コンテストの1等賞が、まだ回ってきません。早く回してください!」
委員C:「そうです、そうです。我が校も早く欲しいです!」
委員長:「それは困りましたね。副委員長、何かいいアイデアはありませんか?」
副委員長:「そうですね、今年のスピーチコンテストの一等賞を各3人、団体賞を3校にしてはいかがでしょうか?」
委員長:「それはいいアイデアですね。ついでですから、2等賞も3名3校、残りは全て3等賞にしましょう。そうすれば、各校とも最低でも3等賞になりますから。学校当局に対してもいい結果を報告できますよ。」
委員B:「さすが、委員長!」
<大会結果の根回し>
賞の分割・切り売りは、実際に行われている。だから、中国の「一等賞」は、TOPの一人を表す「一」とは限らない。なんという狡知! たはっ、恐れ入りやしたっ! もちろん、どこを3人3校の1等賞にするかという密室事前会談も行われている。コンテストの結果発表前の評議委員会/審査委員会は、実のところ、そのほとんどは、事前に仕組まれた茶番劇になっている。委員に選ばれる日本人教師や駐在員や日本からの招待大学教授たちは、口を開けて餌を待つ鯉のように、ぼけ~っとして茶番を演じさせられているが、省級大会と国家級大会は、実は、大会前日までに、事前に中国人委員への根回しは終わっている。
国家級大会である「中華杯」日本語スピーチコンテストを例に挙げて説明しよう。この大会は、3~5つの省や直轄市が一つの地域ブロックを形成し、各地区(ブロック)大会で「予選」を行う。例えば、東北3省(黒竜江省、吉林省、遼寧省)は東北地区、ここから2名が地区代表として、毎年7月に東京で開かれる日経新聞や中国教育国際交流会が共催する「第〇回 全中国選抜 日本語スピーチコンテスト」(いわゆる本戦)に参加する。
しかし、各参加校の意欲や態度は、国内「予選」で終わる。「中華杯」の本戦(決勝大会)と謳われる東京大会は、日本人が評議員の多数を占め「根回し」ができないため、国家級や世界級としてカウントされないから、ポイントにならない。まぁ、各校は優勝してくれれば嬉しいし、そこそこのボーナスはある。がしかしだ、省級や国家級の認定ポイントではないため、学科や教師評価ポイントへの寄与が低い(これは、学校によって例外規定等が異なるため、いろいろある)。
<あらためて参加資格という罠>
省級の各種コンテストは、各省の日本語専業委員会所属日本語科は、ほぼ全校参加資格がある。国家級の各種コンテストは、もちろん各省の日本語専業委員会所属の日本語科だけが、参加資格があることは言うまでもないが、「が」だ、決して全校は参加しない。毎年、一部の大学だけが参加している。なぜだろうか?
なんども言うが、中国は人が多い、多すぎる。そして学校も多い。だから、もし各省各直轄市から1人の代表だけでも、30人程度になる。自身が30人のスピーチ大会に審査員として参加すると考えてほしい。前半は固定テーマスピーチ(5分間)、後半は即興スピーチ(2分間)、入れ替えの時間等も入れると、前半だけで約4時間、後半も約3時間。もちろん、開会の挨拶や写真撮影や要人紹介など含めると、5時間ぐらい必要になる。同じような内容、拙い即興スピーチを聞かされて、審査委員はケツも痛くなる。最後の即興スピーチが終わったら、評議会がある。ここで各省日本語専業委員会のボスに従わない大学があると、紛糾して、審査発表は夜の7時を超えるなんて、ざらにある。ぼくは数回経験してうんざりだった。そして、一流校を勝たせるためにも、参加校の調整・選定が必要になる。
ということで、まず、地区(ブロック)制を採用して、なるべく参加校を20校以内になるように調整している。各省一流校のボス的日本語科は固定参加、残り2~5校は、各省の日本語専業委員会で毎年指定されて参加する。だから、なぜこの学校が参加しないのか?という疑問は、毎年頭をよぎる。そこには、「混乱」を避けて「秩序」を尊ぶ歴史的に形成された風土文化習慣システムがある。
こうして、日本語科の存在証明「成果」は作られていくのだ。
次回は、日本語学科存続の別側面に光を当てて語ろう。
