goldenkingbombのブログ

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中国の某国家機関で働きながら、現場のリアルな状況を紹介します。批判でも賞賛でもない、独特の立ち位置をご理解ください。(文中に「ぼく」と表記しているのは、浜崎あゆみの歌詞に倣っています)

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中国の大学日本語専門(学科)の話をしよう。

 中国の大学内に現在、腐るほど存在する日本語専攻/日本語科は、実際に腐っているし、近い将来、淘汰・消滅する。淘汰(募集停止や募集人数減少や学科消滅)は既に始まっている。ちなみに、当局が構想している大学日本語科の生存は3つだけだ。

 

①一握りの一流外国語大学(北京/上海/西安/大連外国語大学など)
②総合大学の外国語学部(学院)内で、韓国語やドイツ語やスペイン語と同列で置かれる選択的専攻/専門
③趣味用の第二外国語


 この流れ・動きは加速している。ご存じのようにトップダウン式決定の中国の決定と変化は速い。要らないものを切り捨てるときは容赦なく無慈悲で清々しい。少し前に発生した天津の爆発跡地を見てみればいい。負の遺産になりそうなら、「記念碑」すらありえん。もともと公園だったのよ!(白目)

 これから数回に分けて、大学日本語科が置かれている立場と、そんな中でも生き残り(食い扶持)を賭けて奮闘している現場の様子や事情を、日本語科がどうなろうと知ったこっちゃないパートタイマーで気楽な立場のぼくがお伝えしよう。特に、 上記の②に当てはまる日本語科は、日本語科の存在意義を示そうと、ケツを叩かれ煽られている。「日本語科の存在意義を示さないと、学科お取り潰しになって、みんなクビになっちゃうYO!」 じゃあ、何をすれば、存在意義を示すことができるのだろう?


<いいモノだけ残るシステム>

 中国では、なんでも競争になってしまう、人口が多いために。そうすることで、最終的には必然的に優秀なものが残るのだから、誰も頭を悩ませる必要がなくなり、便利簡単楽ちん。
 大学での教員評価(昇格条件)は、分かりやすいポイント制だ。例えば、国内一流雑誌(所謂「C刊」)に書いたら1本2p、「ネイチャー」のような世界一流雑誌に書いたら1本5p、それ以外は0.1pなど、学校によって基準が決められている。(追記:その後、2020年12月14日頃に10月に出た教育部告示の更なる詳細通知で、ハイエナ雑誌やゴミ雑誌に書いた論文一掃、書いても0ポイント徹底せよとのお達しが出た)

 先生によっては、酒浸りで論文を書けない人もいるし、教育には熱心だが研究をしない先生だっている。そんな人を評価救済するために、研究活動以外の様々な活動にポイントが割り振られている。いくつか紹介しよう。

・教員間コンテストの結果
・学生が参加する諸コンテストの指導者
・学生卒業論文のコンテスト
・学生からの授業評価
・etc...


<外教とは出汁を取ったら捨てられる出汁パックのこと>
 
 学生が参加するコンテストを指導した教師が評価されるのは、分かりやすいとは思う。だが、コンテストについて語るより前に、指摘しておくべき大事なことがある。それは、ぼくの同僚日本人や別の大学に勤務する日本人教師たちを見ていると、事情を知らないアホがたくさんいることだ。

 「指導教師」とは、学校当局に結果報告・提出される書類に「指導教師」として記入される教師のことを言うのであって、指導時間が長いとか実際に指導したとか指導アシスタントのことではない。ほとんどの日本人教師は、必然的に「アシスタント」になっている。日本人教師(いわゆる「外教」)は、一番面倒な実際の指導をさせられて、その果実(評価やボーナス)は中国人教師がかっさらうのは、中華人民共和国教育界の基本中の基本。大和田常務が言っているではないか、「日本人教師の手柄は中国人教師のもの」と。そして、「编制」と呼ばれる正規職員リストに入らなければ、それはパートタイマー・ゴミ清掃員の意味だ(「编制」についても、そのうち書こう)。
 指導教師でなければ、評価ポイントは全く無いし、評価されない。だから、給料に反映されるはずもない。「指導教師」欄は、常に中国人教師が記入される。いくら、実際に指導したのが日本人教師で、優勝者の横で指導教師ズラして成果アピール写真に写ろうとも、「指導教師欄に記入」されていないなら、まったくの無意味だ。だから、ぼくは、スピーチコンテスト等の指導アシスタントはしないし、したとしても自分にとっての損益分岐点の下で適当にしている。


<学生コンテストは教師のインセンティブ>

 評価されるコンテストにも階級が存在する。今回は、そのあたりを詳しく生々しく説明しよう。

 日本語教育の業界は、実のところ、システマティックでもなければ、厳しさのない、老人のひなたぼっここ世界だ。激しい競争を極端に嫌う。だから、日本や日本人が主体のスピーチ大会でも作文大会でも、日本語界には権威ある大会が存在しない。「おててつないで、なかよく」のゴッコ世界だ。だが、競争こそが秩序の中国では、学生の日本語コンテストは、日本語科にとって非常に大きな意味を持っている。それは、日本語科の存在証明という意味だ。


<国家級コンテストと省級コンテスト>

 まず、コンテストの階級について説明しよう。説明便宜のために、大きく3分類(S,A、B)しよう。

Sクラス…世界級~国家級
Aクラス…省級
----ここまでが意味のあるコンテスト----
Bクラス…上記SとA以外は全てゴミに分類~

 SとA(世界級/国家級/省級)だけが評価ポイント対象だ。国家級コンテストと省級コンテストという認定は、教育部直属の日本語専業委員会で認定され、それに基づいて各学校で規定されている。だから、日本語科の先生たちは、ポイントになる国家級か省級コンテストにのみ精力を注ぐ。それ以外は、たとえ学生が一等賞を獲ったとしてもポイントにならない。ポイントは、前回前々回書いたように、教師の個人ポイントでもあり、学校が評価されるポイントの意味もある。だから、在華日本大使館や在日中国大使館が後援しようが日中なんたら学会や協会が主催しようと、参加人数最大級だろうと、なんちゃら世界大会だろうと、国家級或は省級に「認定」「指定」されていないコンテストは、屁のツッパリにもならないゴミ大会だ。ここを理解していない人が、特に日本人教師には多すぎて呆れる。「学生の学習の励みになる」など、よれよれの5角札ほどの価値もない。この点は、はっきり書いておこう。中国では、国家級/省級コンテスト以外はゴミだ! 参加する価値もない(年年歳歳、学校当局を騙しにくくなくなっている側面もある)。


<日本語専業委員会の罠>

 中国の日本語科にとって大事なコンテストは二つある。一つは、毎年春(4~5月)に行われる国家級の「中華杯」(中华杯)と呼ばれる全中国日本語スピーチ大会(地区ブロック大会)だ。もう一つは、省級、すなわち毎年秋頃に各省で行われる各省教育局日本語専業委員会主催のスピーチ大会だ。この二つに次ぐ通訳・翻訳・論文コンテストもあるが、上の2つほどの重要度ではない。

 さて、この「中華杯」スピーチコンテストと省スピーチコンテストの参加資格を例にとって説明しよう。けっこうオモシロイ。どちらのコンテストも各省日本語専業委員会所属の日本語科のみ参加できる。だから、日本語を勉強している人が誰でも参加できるというわけではない。そこは、日本の高野連参加校のみ甲子園大会出場資格があるのと同じだから、まぁ、理解できるだろう。しかし、こと「中華杯」に限って言えば、専業委員会に所属している全校が参加しているわけではない。ここに最初の「???」が来る。どうして、全校或は多くの学校が参加しないのだ?と。 

 現在の北京や上海などの直轄市や超大都市は別として、地方の省都にある、地域一番優秀総合大学(一流大学)は、これまでその省のボスとして君臨してきた。吉林省なら吉林大学、安徽省なら安徽大学、浙江省なら浙江大学、甘粛省なら蘭州大学、新疆ウイグル自治区なら新疆大学、湖南省なら湖南大学、広西チワン族自治区なら広西大学、雲南省なら雲南大学など、省一流大学が君臨し、各省の教育界を「秩序正しく」統治してきた。統治、すなわち、地域人材の輩出・配置である。その省を支配するボス大学の細胞(卒業生)が、その省の官僚組織や各大学に入り込んで要職を占めてきた。地域の顔役、まさに「ボス」なのだ。
 当然、各省の日本語教育を統括する「日本語専業委員会」も、省のボス大学のトップが歴代の委員長や副委員長を占め続けている(ぼくの住む某省は、この構図の超模範例だと思うアルヨ)。日本で言うところの、九州の各大学の教授陣が九州大学細胞で満たされているのと同じ構図だろう。
 各省の日本語専業委員会には、日本語科がある大学全てから委員を輩出しているわけではない。すでにこの段階で選別されているのだ。この委員会に委員を出していなくても、各日本語科は統治(各通知)に従わなければならない。まぁ、各省の日本語専業委員会は、所詮、中央(北京)の教育部直属の日本語専業委員会による指令のサインまとめ役的存在な面が多々あるが。
 北京や上海など直轄市の専業委員会は、市内にボス級大学が複数あるため、かなり百家争乱状態だが、地方では一強状態がほとんどだ。そのため、専業委員会は、さながら同窓会状態だから、みな気心が知れている。よくよく聞いてみれば、ほとんどが元教え子、元指導教師の関係だ。そして、もっとよく聞いてみれば、こんな話が根っこにあることが分かるだろう。出身のボス大学から、大学院は清華大学大学院や北京外国語大学大学院に進学したが、その時、合格のために「お世話になった」という物語だ。
 「お世話になった」、すなわち、省ボス大学の日本語科ボス先生(省日本語専業委員会長)から、北京の大学院の某先生に電話してもらい、大学院合格に尽力(加点)してもらったという意味だ。もっとよく聞いてみれば、その北京の一流大学院の某先生に指導された博士たちを省ボスの采配で省内の大学に受け入れている。もちつもたれつのいい関係を築いているのだ。うーん、いい話だ。

 

<ジャイアントキリングは不敬罪>

 

 一流が一流たる故は、二流と三流が存在し、優秀だから一流なのだ。ヒエラルキーには、二流と三流が一流には決して勝てないという固定化された図式が必要なのだ。この図式を一流の側から見ると、一流を際立たせるために二流と三流は存在するということになる。二流と三流は、葬儀会場の花壇の役割だろう。二流と三流の側から見ると、絶対的存在として君臨する一流を憧れ仰ぎ見ることができることが、自分たちの分相応の位置だ。この身分を変えるなど、恐れ多いこと、不敬罪に値すると言っていい。「ジャイアント・キリング」(番狂わせ)なんぞあってはならないし、容認できない。この構図を「守らなければならない」のだ。
 すなわち、一流が勝てない大会は、非公認で非正規のお遊戯だから、カウントされないのだ。全校参加だと、ジャイアントキリングが起きかねない。それでは、一流のメンツが潰れる。一流のメンツを守るために、一流校だけが勝つ大会を組織しなければならない。「中華杯」は、その最たる大会だ。例えば、開催地区のある省からの参加校を見てみればいい。一流校から1校と三流校が2校だけ参加している。

 だが、勘違いしないでもらいたい、これは「不正」ではないのだ。これは、中国なりの「正義」なのだ。公正よりも「秩序」が優先され、「秩序」維持に資する行為は、正義なのだ。ぼくは、参加しなかった学校の担当者に聞いたことがある、なぜ参加しなかったのかと。逃げ口上が延々と続いた。やれ、参加したい人がいなかっただの、参加期日に間に合わなかっただの、参加の知らせが来なかったのだの。まぁ、参加の知らせが来なかったというのだけは、間違いないだろう。そもそも、参加させる学校にしか参加申込書を送らない場合が多々あるのだから。そのあたりは、各省の日本語界のボスがしっかり差配している。


 さて、時じゃなく話を元に戻そう。存亡の危機に瀕している日本語科は、各大学共通だ。同じ悩みを抱えた同志が、日本語専業委員会にたむろしている。一応、かなり事実に基づいて、日本語専業委員会フィクション劇を作ってみた。


<20xx年 某省日本語専業委員会>
委員A:「委員長! 我が校の日本語科は困っています!」
委員長:「どんな困りごとですか?」
委員A:「我が校では、日本語科の予算・人員削減を学校当局から示唆されています。2年以内に、何らかの成果が上げられないなら、実行するそうです!」
委員B:「あぁ、うちも同じです。」
委員C:「あー、うちも、うちも!」
副委員長:「委員長、実は、我が校も同様のことを言われています。」
委員長:「そうですか。我が校も皆さんの学校と同じなんですよ。どこも同じですね。皆さん、これは日本語科存亡の危機です。生き残るために知恵を絞りましょう! 副委員長、何かいいアイデアはありませんか?」
副委員長:「そうですねぇ。近々、毎年恒例の省日本語スピーチ大会があります。これまでは毎年、優勝を一流大学で回してきましたよね。今年から、一等賞の枠を広げてみては?」
委員A:「おお! それは助かります。」
委員B:「いや~、それでは他の学校は成果を出すのに間に合いません。幸い、これまで団体賞は開催校が1等賞を持ち回りしていましたから、この際、大会を各学年ごと、各学年の一等賞を2人にしてみては? 一人は必ず開催校から1等賞。もう一人は委員の投票で決めては?」
委員長:「それは、いいですね。じゃあ、今年から1等賞は各学年別にして、個人賞も団体賞も1等賞は2名と2校ずつということでいきましょう!」
全員:「賛成~!」

<2年後-某省日本語専業委員会>
委員B:「委員長! うちの日本語科は困っています!」
委員長:「どんな困りごとですか?」
委員B:「コンテストの1等賞が、まだ回ってきません。早く回してください!」
委員C:「そうです、そうです。我が校も早く欲しいです!」
委員長:「それは困りましたね。副委員長、何かいいアイデアはありませんか?」
副委員長:「そうですね、今年のスピーチコンテストの一等賞を各3人、団体賞を3校にしてはいかがでしょうか?」
委員長:「それはいいアイデアですね。ついでですから、2等賞も3名3校、残りは全て3等賞にしましょう。そうすれば、各校とも最低でも3等賞になりますから。学校当局に対してもいい結果を報告できますよ。」
委員B:「さすが、委員長!」


<大会結果の根回し>

 賞の分割・切り売りは、実際に行われている。だから、中国の「一等賞」は、TOPの一人を表す「一」とは限らない。なんという狡知! たはっ、恐れ入りやしたっ! もちろん、どこを3人3校の1等賞にするかという密室事前会談も行われている。コンテストの結果発表前の評議委員会/審査委員会は、実のところ、そのほとんどは、事前に仕組まれた茶番劇になっている。委員に選ばれる日本人教師や駐在員や日本からの招待大学教授たちは、口を開けて餌を待つ鯉のように、ぼけ~っとして茶番を演じさせられているが、省級大会と国家級大会は、実は、大会前日までに、事前に中国人委員への根回しは終わっている。

 国家級大会である「中華杯」日本語スピーチコンテストを例に挙げて説明しよう。この大会は、3~5つの省や直轄市が一つの地域ブロックを形成し、各地区(ブロック)大会で「予選」を行う。例えば、東北3省(黒竜江省、吉林省、遼寧省)は東北地区、ここから2名が地区代表として、毎年7月に東京で開かれる日経新聞や中国教育国際交流会が共催する「第〇回 全中国選抜 日本語スピーチコンテスト」(いわゆる本戦)に参加する。
 しかし、各参加校の意欲や態度は、国内「予選」で終わる。「中華杯」の本戦(決勝大会)と謳われる東京大会は、日本人が評議員の多数を占め「根回し」ができないため、国家級や世界級としてカウントされないから、ポイントにならない。まぁ、各校は優勝してくれれば嬉しいし、そこそこのボーナスはある。がしかしだ、省級や国家級の認定ポイントではないため、学科や教師評価ポイントへの寄与が低い(これは、学校によって例外規定等が異なるため、いろいろある)。


<あらためて参加資格という罠>

 省級の各種コンテストは、各省の日本語専業委員会所属日本語科は、ほぼ全校参加資格がある。国家級の各種コンテストは、もちろん各省の日本語専業委員会所属の日本語科だけが、参加資格があることは言うまでもないが、「が」だ、決して全校は参加しない。毎年、一部の大学だけが参加している。なぜだろうか?
 なんども言うが、中国は人が多い、多すぎる。そして学校も多い。だから、もし各省各直轄市から1人の代表だけでも、30人程度になる。自身が30人のスピーチ大会に審査員として参加すると考えてほしい。前半は固定テーマスピーチ(5分間)、後半は即興スピーチ(2分間)、入れ替えの時間等も入れると、前半だけで約4時間、後半も約3時間。もちろん、開会の挨拶や写真撮影や要人紹介など含めると、5時間ぐらい必要になる。同じような内容、拙い即興スピーチを聞かされて、審査委員はケツも痛くなる。最後の即興スピーチが終わったら、評議会がある。ここで各省日本語専業委員会のボスに従わない大学があると、紛糾して、審査発表は夜の7時を超えるなんて、ざらにある。ぼくは数回経験してうんざりだった。そして、一流校を勝たせるためにも、参加校の調整・選定が必要になる。

 ということで、まず、地区(ブロック)制を採用して、なるべく参加校を20校以内になるように調整している。各省一流校のボス的日本語科は固定参加、残り2~5校は、各省の日本語専業委員会で毎年指定されて参加する。だから、なぜこの学校が参加しないのか?という疑問は、毎年頭をよぎる。そこには、「混乱」を避けて「秩序」を尊ぶ歴史的に形成された風土文化習慣システムがある。

 こうして、日本語科の存在証明「成果」は作られていくのだ。
 次回は、日本語学科存続の別側面に光を当てて語ろう。

 

3、双一流、或は双三流

 

《教育部 财政部 国家发展改革委关于公布世界一流大学和一流学科建设高校及建设学科名单的通知》

 現在、中国の大学は二つの一流(中国語で通常「一本」[ピンインをカタカナ不思議表記すると「イーベン」]となる)大学基準がある。1つは、北京大学や清華大学のような世界ランキング基準での世界一流大学。2つ目は、一部の学科や専門が世界一流という学科一流大学である。この二つの一流を合わせて「双一流」と言い、その実現を目指「させられる」大学は「双一流建設大学」(“双一流”建设高校)と呼ばれている。

 中国では、1990年代以来長きにわたって、「985工程」という国内一流大学基準が使われてきた。だから、今でも一流大学を「985」(jiu ba wu;ピンインの不思議日本語読みは「ジゥバーウー」)と呼ぶ人は多い。ぼくもよく使っている。その他に、「211工程」(通称211:er yao yao;「アールヤオヤオ」)と呼ばれる985を目指す学校予備軍も作られた。こちらは一流の下に位置付けられている。一流の人生を送るなら、最低でも985大学に入らなければならない。211は、所詮、一流の下なのだ。そこ(985と211)には、タワマンと一般のマンションぐらいの違いがある。


<一流の中の階級>

 さて、まずは「双一流」の話をしよう。ちなみに、私がときどき教えに行っている大学が、どの省で1~3流のどこに位置するのかは書けない。なんせ即人物特定されるのでね(いわゆる人肉捜査)。
 この「双一流」は、各大学の上昇競争を煽るシステムになっている。読者に分かり易く説明するために、便宜的にアルファベットを使った区分で説明しよう。頂点に君臨するS類から二流に落ちる寸前のD類まである(公式に存在する区分はAとBだけ)。

S類」…北京大学や清華大学など、世界大学ランキングも上位100位内アルヨ。

A類」…THE世界ランキング等で500位以内、北京師範大学や復旦大学や南開大学など直轄市級大都市の一流と、吉林大学や南京大学や四川大学など地方の省一流大学の一部アルヨ。
----<ここまでが客観的な双一流>----

B類」…当初、元985で国内一流と思い込んでいたが、どういうことか審査で格下げられたカワイソウな大学群(実際には、あまりにも不正が多く、改革放棄など、問題が多すぎただけなのだが)。東北大学や湖南大学などプライドをズタズタにされた大学がそうだった。3年間の奮闘(他の大学のパクリ改革と数字上のごまかしや学長の解任等)期間を経て、この2校は2020年下半期、A類に昇格を告げられて安心放心慢心状態。現在B類は西安電子科技大学や西南大学や重慶大学など4校のみアルヨ。

「C類」…まぢで一流やる気あんの、おまいら?と最後通牒を食らった学校群。現在は江蘇大学や河南理工大学など11の大学が所属中アルヨ。
----<この下は、二流と同じ>----

「D類」…おまいらゴミくず~、とレッテルを張られた学校集団。現在は寧波大学と東北林業大学がここに分類されている。正確に言うと、一流学科建設推進指定校を取り消された学校のことアルヨ。


 「双一流」とは、超分かり易く言うと、THE(Times Higher Education)などの世界大学ランキング500位以内を目指せ!との大号令(国家政策)がかかり(2017年)、ケツを叩かれ続けている学校集団ということ。じゃあ、各大学がなぜ一流を目指すのかと言えば、それは、大学の予算が劇的に上下するからだ。給料増やしたかったら上目指せ、だ。
 中国の大学は、95%が国立(国家教育部直属)や省立(省教育庁直属)などの公立大学だ。だから、大学の予算は国や省から提供される。そして、予算配分には圧倒的な傾斜配分がある。手元にある最新の予算配分(教育部直属大学)を見てみよう。

1位-清華大学(約310億元)
2位-浙江大学(約216億元)
3位-北京大学(約191億元)
4位-中山大学(約186億元)
5位-上海交通大学(約164億元)
---
74位-新疆大学(約12億元)

 1位の清華大学と2位の浙江大学の間に、既に100億元近くの差がある理由は、分かると思う。現首領の習さんが清華大学出身だからということは、言うまでもないアルヨ。


<働かざるもの食うべからず>

 もちろん、各大学は、国家や省からの予算のほかに、投資や病院や専門学校や観光施設など、独自の事業収入がある。この独自予算が乏しい学校は、国や省からの予算に完全依存するから、そりゃ大変だわさ。特に近年、公務員の綱紀粛正や汚職取り締まりや密告制度が充実したおかげで、豪遊や丼勘定ができなくなっていて、大学関係者冬の時代のようだ。
 独自財源や国家配分予算が桁外れに多い清華大学をはじめとする一流大学は、「インセンティヴ」が凄まじい。「給料がいい」と書かず、「インセンティヴ」と書いている点を注視してほしい。ときどき、ネ有名大学の教員が自分の給料明細をネット上に晒して窮状を訴えることがある。彼らは、明細を示して、「有名大学なのに税金やなんやら差っ引かれて、手元に残るのは5~7千元程度だ!」などと訴える。彼らのほぼ全員が、論文も本も書かない、書いても一流雑誌じゃない、何の賞も獲らない、学位が足りない、社会科学基金等の国家研究プロジェクトに採用されたことがないなど、基礎給料しかもらえない「お荷物センセー」たちだ。
 中国の大学では、「C刊」と呼ばれる一流誌に論文を書いたり、社会科学基金に採用された人たちは、たんまり研究費やインセンティヴが与えられる仕組みになっている。

<千人計画の美味しさ>

 「千人計画」に関する報道を見聞きした人なら、その給料が高いということを知っていると思うが、ま~とにかく凄い。私の友人は千人計画に入っているので、いろいろ聞いたことがある。この計画に入った人は、分野にもよるが、文学系でも年棒1000万以上確定、マンションと外車進呈、毎年潤沢な研究費、論文1本につき10~100万円、外国人ならグリーンカード進呈など、至れり尽くせりだという。ぼくの友人は、唯一手に入らなかったのは健康だけだったとこぼしていた。
 どこかで読んだことがあるのだが、95%だか98%だかの人はカネ・地位/名誉・SEXのどれかで必ず動くと。ぼくがこれまで出会った大学の先生は、世界中どこでも、99%これに当てはまる。カネのチカラ万歳だ。各種インセンティブの話は、また別の機会にも触れよう。


<学校の福利厚生>

 インセンティブと言えば、中国では、もう一つある。それは、大学の福利厚生だ。これにピンとこない人のために、少し回り道をして説明しよう。それは住宅と一人っ子政策と高考に関わる話だ。

①「住宅の話」 
 現在の中国は、よく報道される件だが、地価及び住宅(マンション)の価格が上がりまくって、庶民に手が出ない価格になりつつある(中国ではすべての土地が国の所有だから、名目上は「レンタル」ということになる)。北京上海や香港は土地価格上昇で有名だが、近年は地方の大都市の土地価格も上昇して、トンデモナイことになっている。少し前まで1㎡あたり平均3000~5000元だったのが、

深圳-約54100元
北京-約34100元
上海-約26800元
杭州-約23900元
南京-約22300元

 5位までを挙げるとこうなる(2020年発表値)。これに伴って、他の地方都市も引き上げられ、例えば地方中都市の浙江省寧波でも1㎡約15100元になっている。深圳の80㎡の部屋で4,348,000元、日本円だと約7000万円となる。平均価格でこれだ。中心地わ、もーわけわからん価格になっているアルヨ。地方大都市(主に省都)も、1㎡10000元を超え始めている。
 一般的な大卒の給料が平均年6~7万元(100~140万円)なら、どうすれば部屋を買えるというのだろうか。実際には買える人もいるのだが、それは謎の家車購入資金があるからだ。これについても、いずれ書こう。

②「一人っ子とお習い事」
 子供には愛情(と書いてカネと読む)を注ぐ。なぜなら、自身の老後の金銭面の面倒を見てもらうためだ。中国では定年が早く老後は決して働かない。だが、年金は物価上昇に見合わず、困る一方だ。中国では、公式に、制度的に、老後の親の面倒は子供がみることになっている。そのために、息子娘夫婦に赤ちゃんができたら、孫の面倒を見る。持ちつ持たれつだ。
 自分たちの子供が、自分たちより上の階級/階層に行ってもらうために、最低でも国内一流大学に行ってもらいたい。しかし近年、海外の世界一流大学に留学させた方が、より高い階級に行ける可能性があるため、それを選ぶ家庭も多い。清華大学卒よりも、ハーバード卒の方が格が上なのだ。残念ながら、日本の大学は、東大でも精華大学より「格下」だし、日本語の汎用性が低すぎるため、論外のアウトオブ眼中だ。
 よく知られているように、欧米の大学は、詰込みだけで入試を突破できない。様々な素養や個性が必要になる。個性、音楽、美術など、中国の受験勉強で捨てられる科目を学ばなければならない。それは、中国の通常の学校では教えてもらえない、いや、授業そのものが無い。だから親たちは、習い事をさせるのだ。
 世界中どこでもそうだが、習い事には莫大な金が必要になる。例えば「おピアノ」は、個人レッスンが多いため、月1~2万元ぐらい必要になる。おピアノ、お英語、お水泳。これが三種の神器ならぬ、三種の定番習い事だ。子供は、鉄板習い事の英語塾(或はネイティブからの個人レッスン)の傍ら、他に2つほど習うのだ。もちろん、お金がある人は全部習うが、お金が無い家は、せいぜい英語塾だけか、もう一つだ。

 そんな実入りが少ない決して裕福ではない家庭では、子供を通常の学校ではなく「実験学校」に入れることが最重要になる。習い事をカバーするのが、実験校なのだ。

③大学の付属校
 欧米的な教育を取り入れた実験学校(小中高)は、一流大学の付属校に多い。もちろん、実験学校は入学が難しく、レベルも高い。通常の家庭では、小学校や中学校へのお受験準備が必要だが、その大学の教員の子供なら、優先的に入学できる。理屈はこうだ。「一流大学の教員になるほどの優秀な人物の子供なら、家での教育もしっかりしているはずだ。」
 大学の教員になると、このように子供を付属校に自動的に入学させることができるのだ。これは、二流大学や三流大学でも同じだ。ただし、大学が二流三流だからと言って、付属校まで二流とは限らない。付属校は優秀だが、本体の大学は二流ということは、ザラにある。特に地方の二流大学でこの現象が見られる。

 

 双一流方針(2017年)導入後、大学の教員には安泰(怠けること)が無くなった。具体的には、契約斬り、降格、カットが実施されるようになった。ポイントになる成果を出さなければ、まず給料カット、続いて降格、最後は契約解除が行われるようになった(より正確に言えば、血の入れ替え、より学校のランキングに寄与できる人を雇うために席を開ける)。学校によって制度が異なるので一概には言えないが、基本的に一流大学や一流大学建設を目指している大学では、この傾向は甚だしくなっている。
 現代中国では、一人っ子政策と給料物価状況のため、子供を大切に大切に愛情(と書いてカネと読む)を注いで育てている。もし大学教員が大学との契約解除になれば、自分の子供が入った大学付属校を出なければならなくなるのだ。そう、ここにインセンティヴが働くのだ。大学付属校に自動入学という福利厚生は、ぼくたちが考える以上に大きい。


<ピアノ売ってちょうだい>

 中国の習い事「ピアノ」に関連して話をしよう。中国全土でピアノ習い事の需要が高まると、当然、練習用「ピアノ」が必要になる。国産(中国産)はあるがゴミ以下だし(日本で売られている玩具のピアノの方がまだマシレベル)、必要な海外ものが今、全く足りていない。娘息子の習い事に新品(ヤマハで2万元前後)はちぃと高い。中古だと2000~1万元だ。そこで、数年前から中国の業者は、日本の中古ピアノに目を付け、買い漁っている。
 日本国内で現在流れている中古ピアノ買取CMは、100%中国市場で流通させるためである。何を隠そう、ぼくも知り合いの中国人に頼まれて、日本で中古ピアノを探して輸入の片棒を担いだことがある。これは純粋なビジネスだし、何の問題もない。他の楽器(バイオリンやチェロ)も需要はそこそこあるが、なにせ中古市場での弾数が、ピアノに比べると圧倒的に少ないらしく、どうしても数のあるピアノになるようだ。

 
<ついでに三流学校にも触れるべき?>

 前に、三流大学はモンキーハウス、動物園だと書いた。これ自体は嘘や誇張や間違いや悪口ではない。人類への進化途上の類人猿の収容施設と言い換えてもいい。三流大学は、主に省一流校がそのネームバリューを利用してサイドビジネス的に運営しているか、数は少ないが私企業が運営する私立学校である。中国では、私立学校は、総じて三流学校だ(必ずしも大学とは限らない)。
 三流学校は学費が高い。公立の4倍かそれ以上だ。学費は、一般的な公立学校で年5~7千元程度(寮費別)だが、三流校は2万元以上だ。そして、修学年も3年間というところも多い。そうなると、日本で言う職業専修学校・短大卒扱いだ。しかし、卒業証書のパッと見は、例えば「武漢大学」という一流大学の名称が見える。よくよく目を凝らして見ると、その後ろに「东湖分校」や「珞珈学院」が見えてたら要注意だ。そこは正しく、「三本」(三流の意)学校なのだ。公式には、武漢大学という法人が運営する私立学校という位置づけになっている。武漢大学は国家教育部直属だが、これらの分校は各省教育庁やその他の部署所属になっている。これらの学校は、経営母体の大学の独自財源、いや「ドル箱」だ。
 三流学校は、学費が高く三流のため、金持ちボンボンのどーしようもないおバカドラ息子娘が行くと、相場が決まっている。まぁ、普通の過程の子弟子女が、高い学費払ってまで行く価値はゼロどころか、はるかにマイナスだ。
 三流学校の学生は、全て三流かと言えば、ところがどっこい、稀にまともな奴もいる。親が英語だけは習わせていたり、親の仕事の関係で海外生活が長かったりと、英語能力やコンピュータ知識が凄いやつもいる。親に金が潤沢だから、本科生が羨むものを何でも持っている。全寮制の学校でも、学校の外にマンションを借りていて、夜や週末はそこで寝泊まりするヤツもいる。教師に賄賂を握らせるヤツもいる。これまた何を隠そう、ぼくもたんまりともらったことがあるからよく知っている。学生に手心を加えると、親からもいろいろサービスがあるから、ウマイウマイまいう~だ。
 しかし、何度も言うが、モンキーハウスだ。日本語だと学級崩壊と言うのだろうが、授業中はキーキーわめきながら遊ぶ場、まさに猿山だ(「だった」と書く方が正確だろう。なぜなら、近年の教室内遊びがスマホになっているから、教室内は静かになる傾向にあるようだ)。まるで学級崩壊低学年小学校のように。ドル箱ゆえに、卒業させることに意味があり、教師もあまり注意しないし、しても意味がない。だから、このドル箱で問題を起こす(赤点を付けたり強い指導をする)教師は、学校にとって超問題教師となり、即クビもありうる。
 三流校は、親や本人にとっては一流校の肩書(メンツ)が偽物だが手に入り、学校にとってはドル箱(カネ)であるため、社会円滑の必要不可欠なシステムになっているのだ。

 

2、二度と戻りたくない受験生の話、或は、子供は一族の道具という話。

<階級変更>

 中国の大地で生を受けた者には、現在は2回、人生の中で階級変更のチャンスがある。1回目は、「高考」すなわち大学入試の時。最後のチャンスは、「考研」すなわち大学院入試のときだ(大学院は、大学ほどの神通力が無い)。だからこそ、毎年6月の大学入学共通試験「高考」は、家族や地域が総出で挑む「総力戦」なのだ。
 未だ人口の多くが田舎に住む中国では、一族の栄華盛衰(階級アップ)は階級脱出の可能性のある大学合格者に依存する。田舎地域(主に山村農村漁村)にとっても、言い方は悪いが、のちのちの利権誘導と同郷のよしみ温情不正のためには、村の期待の星(子供)がより上の階級に行ってもらわなければならないのだ。決して、村の発展のためなどではない点は、強調しておかなければならない。「村の発展」という「公」や「公共」という思想が中国には存在しないことは、あらためて言うまでもない。

 余談だが、孔子(の思想や儒教道徳)がなぜ誕生したかと言えば、そこに書かれていること全て、太古の昔から「できていない」嘆かわしいことだったからだ。「親を大事にする」という代表的な考え方も、「できていない」から儒教道徳としてスローガンにされているのだ。「親を大事にする」という考えは、言われるまでもない、言う必要もないほど基本的なことのはずだ。それをわざわざ言う必要があるところに、病みがある。「親を大事にしていない」事態とはどのような場面だったのか、まぁ、あれだな。。。
 中国に限ったことではないが、「思想」や「教え」が生まれるのは、「できていない」から、「できもしない」ことだからだ。モーゼやキリストも、パレスチナの地で起きていることを見て、「どげんかせんといかん」(東国原)と思ったことだろう。2千年以上経った現代でも、未だに教会で基本的なことを説教して戒めているではないか、「汝、○○するな」と。


<一流大卒にあらざれば、人にあらず>

 中国はカースト社会、厳然たるヒエラルキー(階級/階層)社会だ。何度も言うが、共産主義の理想である無階級社会というスローガンは、「できもしない」夢物語スローガンだ。スローガンとは、「できもしないこと」を掲げるものなのだから。だからこそ、中国の現状は、共産主義理想と正反対の状況、「階級社会」なのだ。当然、大学にもヒエラルキーがある、それも公然たる階級が。

 一流(大学)…ここだけが大学。
 二流(学校)…一流でも三流でもないというだけ、日本の高校に相当。
 三流(学園)…日本で言うFランクだが、少し違う。ほぼ動物園のモンキーハウス状態。

 これが、中国の大学の公式区分だ。「公式」なのだ。ぼくは、本業の合間にどの階層の学校でも教えた経験があるし、いくつかの省の学校の経験もあるから、中国全土ほぼ同じだと断言できる。もちろん、個別少数だが、この区分に入らない学校や学生や教師もいることは、敢えて断るまでもないのだが、断らないとやんや言う不思議な人もいるので、一応書いておこう。

 各大学が所属する階級/階層は、その後の人生の階級とほぼ重なる。それは、三流学校を卒業したら三流の人生(より正確には三流の会社人生)が、二流の学校を卒業したら二流の人生が、そして一流の学校を卒業すれば一流の人生が待っているという意味だ。なぜそうなるかと言えば、最大の理由は人口が多いからだ。中国では、混乱(無秩序と言い換えてもいい)を回避するため、就職採用「秩序」を保つために、ここで「学歴ヒエラルキー」が用いられる。
 応募条件に、最初から堂々と学歴フィルターをかけるのだ。「応募条件:国内一流大学卒業者」という条件だ。この時点で、大卒の90%が断念せざるを得なくなる。二流大学出身者にチャンスはない、ただそれだけのことだ。なぜなら、中国的官僚制度の基準に、「人柄」や「適正」などの抽象的な隙間がないからだ。

<高校:或は賄賂文化学習機関>

 ぼくは昨年、ある内陸の内陸部田舎省の小さな町の高校に行った。目的は、ある日本語学校が高校との業務提携を模索するためで、ぼくはそのコンサルタント業務を引き受けた。
 少し事情を説明しよう。近年、中国の大学入試は、外国語科目を英語以外で受験できる選択肢が広がり、日本語選択者も増えている。すべての大学や全ての専門で日本語受験を認めているわけではないが、着実に増えている。英語で勝負していては成績が伸びにくい学生にとって、同じ漢字文化圏である日本語は学びやすいし、入試も今のところ難しくないため、比較的楽に高得点が望める。単にこれだけの理由で、実は今、中国の各高校では、江蘇省や浙江省や広東省を中心に日本語科目を開設しているところが増えている。


 ぼくが見聞きした大学入試事情の一端を話そう。職場の同僚中国人たちに聞くと、どの地方でも大きな違いはないらしい。
 その高校では、一流大学合格者が出ると、担任の先生にボーナス(インセンティヴ)が出る。ぼくが見た価格表は、地方の省一流大学なら2万元、北京上海の一流大学なら5万元、北京大学か清華大学なら10万元という価格表になっていた。だから、教師たちは必至だ。ある高校では、一流大学入学者を輩出した先生は、弟子をとるかのように自分のマンションや借りたマンションに学生たちを住まわせて勉強させる、それも月に5千元や1万元払わせてだ。教師のアルバイトだ。学校当局は、一流大学進学者が出れば、これまた校長の功績として地位昇進に関わるから、教師のアルバイトを黙認(奨励?)している。
 学生の親も、子供に一族の存亡をかけていて必至だから、親戚中から金借りて住まわす。親戚はいずれ銀行や公務員になると期待して、利権や不正での温情キックバックが期待できるから、がんがん貸してくれる。親族だけで足りない場合でも、村がお金を出してくれることもしばしばだ。村から一流大学、更に北大清華が出れば、かつての科挙合格者並みに凄いことと考えられている(実際には、利益誘導につながるためなのだが)。
 教師のボーナスはそれだけではない。一流大学に合格すれば、学生の親から更にお小遣いがもらえる(相場は1万元から100万元まで様々)。もちろん、学生に対しても、地域自治体や親戚や学校から「奨学金」や「祝い金」がたんまり入る。ぼくの会社の同僚は、広西チワン族自治区の田舎の村から清華大学に合格したので、村から10万元もらい、教師には1万元払ったという。


<高校:或は地獄・監獄・牢獄>

 地域や学校にもよるが、多くの高校が全寮制(土曜の午後から日曜の午後までは家に帰れる)を敷いている(強いているの方が正確か?)。学校の規定や方針にもよるが、基本的に、学生や教師が教室にいる時間は、朝6-7時から夜10-11時頃までだ。もし近くに中国の高校を卒業した中国人がいれば尋ねてみればいい、高校時代は夜何時まで教室にいたのかを。

 中国の高校に行ったことのある人なら分かるだろうが、教室は暗い作業部屋と化している(そもそも、教室は日本より天井高いし、学校に電気の明るさ(ルクス)基準がないから、とりあえず、字が見えれば問題ない精神だ)。田舎の高校なら、一クラス50~120人程度。この大人数だけでも、日本人にとっては常軌を逸していると思われるだろう。中国国家教育部の通達では「1クラス55人以下」と規定はしているのだが、まぁ、そこはお察しだ。
 学生たちは、朝から晩まで同じ机同じ椅子同じ教室で生活(受験勉強)をしている。塾という表現では生ぬるい。受験監獄/牢獄だ。ぼろぼろの木の机の上には教科書参考書問題集が「タワー」状に積みあがって前左右との敷居になって勉強に集中できるようになっている。これは決して比喩や誇張ではない。マヂホンで本類が積み上がっているのだ。積んである本の高さを見れば、高校何年生かが分かるという。全部は机に載りきらないから、足元にも積んである。
 授業は、英国数理社の受験教科のみだ。

「体育」? あぁ、「体を育てる」という意味だな。それなら勉強していれば体は育つ。

「美術」? あぁ、教科書やノートを数式や文字で埋めるという意味だな。それなら皆芸術家だ。

「音楽」? あぁ、先生の板書の音や先生の声のことだな。それなら心配ない、毎時間音楽の授業だ。

 以上は、冗談や笑い話などではない。時間割に体育の記述があっても、「自習」や「数学」に置き換わる。ぼくが実際に見た高校2年生の一週間の時間割には、5科目以外は記載がなかった。極端な話、食う寝る以外は、全て勉強時間だ。高校は大学受験の予備校みたいだという声もあるが、生ぬるい声だ。洞窟に存在する超予備校監獄だ。もちろん、上海や北京の一部の実験高校では、欧米的な授業を取り入れているところも出てきているが、まだまだ少数派だ。


<受験戦争からの落伍者>

 ちなみに、2010年代に登場したスマホの受験生への影響はこうだ。スマホを見た時間の長さによって受験戦争の脱落者が決まる、だ。日本のセンター試験でさえ、ボーダーライン付近の1点の中に5000人ぐらいいると言われている。人口が10倍以上の中国ならどうなるだろうか。
 受験戦争脱落と言えば、もう一つある。恋愛もそうだ。これも学校によって異なるようだが、恋愛はご法度とされている、受験戦争を邪魔するからだ。ただし、ぼくが聞いたところでは、成績優秀者のペアのみ黙認されているそうである。もちろん、恋愛にうつつを抜かすと、英単語や数式を解く時間を削られる、そういうことだ。両立という考えはない。
 先生たちも、大学に入れば自由になれるというニンジンをぶら下げて、学生たちを走らせる。しかし、大学に入って待っているのが、大学院入試への再度の受験戦争である。そして、大学に入った学生たちは、口々に言うのだ、
 「嘘つき!」「騙しやがって!」(骗子!)