-Rose-
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共感した記事

偶然見つけた記事です。
自分を評価できない、どうでもいいことに縛られている日本と、生を力強く肯定するアフリカの対比がされています。
これを読んでとても共感しました。

また読み返したいと思う自分のためにも、ここにリンクを残します。
<リンク/a>

感動したこと

数ヶ月前の話。

気分が晴れず、美味しいものでも食べようと外食したとき、
運ばれてきたパンから湯気がたってたこと。

手に取ると温かくて、やわらかくて、いい香りがして、
なんの変哲もない付け合わせのパンが非常に美味しかった。

何をやっても上手くいかない私のために、美味しくて温かい食べ物が用意されたということが感慨深く、一人涙がこぼれそうになった。
とても優しい味だった。



先日の話。

朝日を浴びた紅葉が輝いていたこと。

もう、出かけることも人に接することも嫌になっていた。
明け方24hスーパーで買物をするためにひっそり外に出て、季節の移ろいに気がついた。

日曜の早朝の大通りでは、人も車も少ないせいか、赤や黄色の街路樹が一層引立っている。
冷たい空気が心地いい。歩きながらしばらく紅葉を眺め、途中で自分の吐く息の白さにも気がついた。

同じ毎日を繰り返す中で、少しずつ沈んでいく底なし沼のような人生。
いてもいなくても、どうでもいい私。

けれども、この世界にも美しいものが存在していて、この美しいものと同じ世界に自分もまた確かに存在しているのだと思うと、生きていようかという気持ちになった。

なぜ生きなければいけないのか

よく思う。安楽死したい。生きていきたくない。

「自由」を掲げながら、苦しまなければならない構造になっている世界が憎い。


死なせてくれ。なぜ「自由に」死ねないのか。

なぜ自殺志願者や自殺肯定者は冷たい目を向けられるのか。

この醜い社会に貢献するために生きているのか。

誰かを悲しませないために生きているのか。

自分のために死ねないのはなぜだ。


包丁を胸や首に押し込めない弱さ、

電車に飛び込んだ後の鉄道関係者や利用者、家族へと視点を移す逃げ、

睡眠や食事を求める強欲、

私はくだらない。くだらない自分が憎い。


なぜくだらない人間が生きなければならないのか。

くだらない人間などいないと納得できる証明などどこにもない。

生きる希望や夢や、行きたいという願望をもっている人間だけが生きればいいじゃないか。

地球の限られた資源も、人生の椅子取りゲームも

望んでいる人間にあたえられるようになる。

 

競争に参加しないのも自由だといっても、その成果ては見えている。

競争して勝ち残らなければ生きていけない。

死にたい人間がいて、生きたい人間がいる。

死にたい人間が死ねないから、本当に生きたい人間まで苦しむ。

苦しむ人間で溢れ返った世界がうまれる。


注射1本で楽に死ねるのに、痛みや苦しみを消してくれない。

死にたい人間が死ぬことで、本当に生きたい人間が思いのままに生きられる確率が増すのに、自殺は悪である。

滑稽な世界。



なぜ私は生きるのかわかった。

目先の肉体的な苦しみや痛みから逃げ、社会的な災いを恐れているからだ。


そして、この世界は何かの罰ゲームなんだ。

絶望して当然なんだ。

足掻いても文句をつけても解放されない監獄の中で、わずかな楽しみが落ちていないか探すこと。

それが世間の示す「生きる意味」とういうものなのか。

くだらない私が、今出すことのできる限界のこじつけである。





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