♪死神はとっても音楽が好き~Sweet Rain 死神の精度を語る~
「美女缶」の筧 昌也監督の二作目。
4月3日(木)鑑賞。
「アヒルと鴨のコインロッカー」の伊坂幸太郎原作ということで、かなり期待して鑑賞。
原作のエピソード「死神の精度」「死神と藤田」「死神対老女」を巧みにリンクさせてひとつの物語として昇華。
実は最近原作を読み終えたところです。
記事にする前にどうしても原作を読んでおきたかった。
そのため、記事にするのが偉く遅くなりました。
映画を観た後だと、原作の死神が金城 武そのものに感じられます。
それだけ彼が役に嵌っていた証拠。
彼のとぼけたような、ちょっと不器用な感じが、千葉というキャラクターとイコールになっていて
この役は彼以外は考えられない、そう思わせます。
さすが原作者の伊坂氏が快諾しただけのことはあります。
この千葉の趣味が音楽鑑賞、ミュージックを聴くことという設定も
観る者に親近感を涌かせ、死神という未知なる者を身近に感じさせることに成功。
音楽って奴は万国共通。
言葉や人種、国境をも越えて人々を繋ぐ力を持っていると改めて感じました。
千葉の横にいつも寄り添う黒犬は死の象徴。
「ゴッドファーザーPartⅢ」でマイケル・コルレオーネの最後をを看取ったのも黒犬だったことを思い出しました。
黒犬の存在は映画オリジナルで、役割は原作でいうところの監査部、上司のようだ
黒犬の台詞はすべてテロップ、字幕というのもイメージを限定させなくて面白い。
そして雨男という設定。
彼は未だかつて、晴れ間を見たことがないというのもラストへの上手い伏線だ。
彼が見届ける、しがないOL藤木一恵(小西真奈美)。
彼女の歌声が聴けるのも映画ならでは
彼女が歌う「Sunny Day」
これが中々全貌を表さず、小出し小出しでイライラする。
いつもいいところでブツ切れになるのだ。
ま、最後にそれは解消されるので、許すが(笑)
今年既に見るのは四度目の石田卓也。
ホント最近出まくってるよなあ、彼。
兄貴想いのチンピラ阿久津を好演。
無鉄砲さ、ぶっきらぼうさがこれまた彼の風貌、演技と合っている。
キャスティングというのは演出における最大のポイントだと思う。
その役者をどのポジションにおくかで、時には実力以上のものが発揮されるうれしい瞬間に出会えることもあるし、逆に、下手な俳優を上手く見せることも可能だ。
キャスティングさえ上手くいけば、80パーその作品の成功は決まったもの。
そういう意味で、キャスティングに関してはこの映画は見事な仕事を果したと言えよう。
藤田という人情味溢れるヤクザを光石 研がこれまた的確に演じてみせる。
ギラギラした感じを前面に押し出しているからこそ、その胸に内に秘めた優しさが引き立つのだ。
彼も地味ながら、日本が誇る名バイプレイヤーのひとりだ。
このエピソードでも伏線が張られていて、最後に繋がってゆく。
富司純子演じる美容室を営む老女、彼女の演技はさすがの貫禄。
今までの伏線がすべて繋がり、「Sunny Day」の調べを耳にすることが出来た瞬間は
感動的。
晴れ晴れとして、心の中に虹が架かったような感覚に陥る
富司さんのすべてを背負った演技が本当に見事。
彼女のしゃべる台詞のひとつひとつに説得力があり、これまでの彼女の役の生きた軌跡が見えて来て、観る者の心を素直に打つ。
この“全ては繋がっていた方式”は映画オリジナルの改変。
「陰日向に咲く」とは何処か似て非なるものなり。
小説は小説で、映画版とはまた違った、“すべては繋がっていた方式”が用いられていて、それが分かった時にはちょっと得した気分、思わず顔が綻んだ。
個人的に映画化されていない原作のエピソード「恋愛で死神」「旅路を死神」が好きだ。
どちらも切ない系の作品で、前者はイケ面なのに敢えてメガネをかけてダサくしている男の恋バナ。
“ちょっとした微妙な嘘は誤りに近い”というゴダールの映画の台詞が印象に残る。
後者は幼少の頃、誘拐された男の勘違いとその真相に迫るお話で、余計な描写や説明が一切なく、特に最後の
「ラーメン屋に寄りてえなあ」の台詞がしゃべられる辺りがグッと来る。
筧監督の「美女缶」でのマニアックさが結構好きだったのだが、この映画ではメジャー感が前面に出ていて
灰汁があまりないのがちょっと残念。