「誰も助けてくれない」という不満が木端微塵になり消え去ってから
怒涛の変化が起こり始めました。
仕事について。
それまでの社内記録を更新、
または所属部署始まって以来、初の快挙などで社長から金一封を渡されるなど、
それまではそれほど目立つことのなかった私ですが、
小さいことを忠実におこなっていことが功を奏したのか
結果を出したり、よい例として紹介されたりして目立つようになっていきました。
そして、突然舞い込んできた栄転のはなし。
しかも、それまで転勤が決まった社員が引っ越す際、
費用は自腹が当たり前だった会社が、
なんと引っ越しに掛かる費用は全額会社が出すとのこと。
前代未聞のことが起こり始めました。
私の場合、特殊な理由で引っ越し先を見つけるのは超難しく、
都内でも条件が合う物件はほとんどないのですが、
なんと勤務場所から徒歩圏内で物件が見つかり
部屋の設備も少し不満なところを伝えたら新品に交換してくれたりと
これまでかみ合わなかった歯車がピタッとはまってぐんぐんまわりだしたかのように色々なことが動き始めました。
私がそれまでいた校舎は5年前に担当になった校舎でした。
当時、私はこの校舎が嫌で嫌で仕方がありませんでした。
電車を降りて校舎に向かう途中の交差点で信号待ちをしているときは、違和感しか感じませんでした。
何とかしてここから抜け出す方法はないかと日々、藁にもすがる思いで本を読み漁り、
目の前の現実を変える魔法のような方法はないかとネットで調べまくっていました。
つまり、私がしていたのは、
一刻も早く目の前の現実を変えること
にフォーカスした行為でした。
わかりますか?これが的外れだということが。
自分以外を変えようとしていますよね。
これだと本当の解決策にはたどり着けなくなります。
でも、当時はわからなかった。見えなくなっていたのです。
見ていなかったのかもしれません。
しかし、私にとってラッキーだったのは、
現実を変えようとして必死になっていた時に得られた答えが
「今、ここ」という言葉ばかりだったことです。
情報収集に疲れ果てていたこともあってか、
なかばあきらめかけていたときに、
なぜかこの「今ここ」という言葉が、またか、というほど何度も目の前に現れました。
そして最終的に私が現実を変えようとするのをやめたのは、
今働いている会社の社長が、全社員を前に語った講話を聴いた時でした。
「おかれた場所で咲きなさい」
校舎はいくつもある。でもみな同じ条件ではない。
皆が行きたいところに行けるわけではない。
しかし、おかれたその場所でしっかり仕事ができないならば、
どんないい場所に行ってもうまくいかないだろう。
まずは、いま自分がいる場所で精一杯やることです。
おかれた場所で咲くということです。
あ~、やっぱりそれか。
それしかない、ということだろうか。
社長の講話を聴いたあと、校舎に向かう途中で道端に生えていた雑草を見ながら
覚悟を決めた瞬間でした。
あれから5年。
先に書かせてもらったように、私がいろんな成果を出せたのは、
目の前の現実を受け入れて向き合ったからだと思います。
あんなに嫌だった校舎が、自慢の校舎になり、大事な校舎になっていました。
そんな愛着のある校舎を去ることになりましたが、
それは、ここでのミッションが終わったということで、次のステージへ進むということだとすぐわかりました。
願っても叶えられないもの、
努力しても実らないもの、
信じても裏切られるもの。
願った何か、努力した何か、信じた何かは、
すぐ現実にはならないかもしれない。
でも、一旦それらを横においてまず目の前のことに集中すると
忘れた頃にひょっこり向こうからやって来ることがある。
それが、所謂、引き寄せであり、思考が現実化するということだと私は思います。