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このブログは、読む人の目醒めを加速する

 (というより完全に目醒めさせる)

という意のもと始まりました。

 

 

わたしは自らの体験のもと

それができると確信していたからです。

 

 

 

 

 

 

しかし、いざ目醒めの記事を公開すると

わたしを苦しみが襲いました。

 

 

それはブログを開いたこと、目醒めの記事を書いたことを

後悔し、省みるほどの激しい苦しみでした。

 

 

目覚めの言葉は、読む人の段階によっては苦しみがともないます。

 

 

わたしの記事を読んでいる人の苦しみが、流れてきているのか

 

 

わたし自身の苦しみなのか、それは分かりませんでした。

 

 

 

または、そのどちらも、だったのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

しかし、わたしはそこで気づいたのです。

 

 

 

本当の目醒めの情報というのは、制限が入るものなのだと…

 

 

 

 

※この記事も添削し編集されたものです。

 

 

 

 

 

 

だからこそ、時代の真の覚者たちは、あいまいな言葉で濁してきて

要領を得なかったのです。

 

 

抽象的すぎて伝わらず、その言葉を研究する者が出るほどでした。

 

 

それは、時代がまだ追いついていなかったから

 

 

人々がまだ受け入れられなかったから

 

 

覚者たちは語れなかったのだと思っていました。

 

 

 

しかし、本質は そうではなかったのです。

 

 

 

現に今に生きる真の覚者たちもそれを直接には語らず

言葉を濁すばかりです。

 

 

 

目醒めさせることができると、容易にその刃を

振りかざして良いものではなかったのです。

 

 

 

 

 

 

その中で、わたしにできる事と言えば

あなたがより苦しまずに

目醒めのプロセスを体験すること…

それをうながすことしかできません。

 

 

なぜなら、あなたが本当に求めているのは

ただの答えではなくその神聖なる体験とその気づきを得ることなのですから…

 

 

わたしも、もう核心をつく直接的な言葉を使うわけにもいきません。

 

 

覚者たちと同様、抽象的な表現を使うことになるでしょう。

 

 

そして、その言葉の意味を考えるというのを

あなたの手に委ねたいのです。

 

今は消化できずとも、いずれあなたの中で

昇華していくはずです。

 

 

 

制限があるとわかってしまっては

どこまでできるのかわかりませんが、調整しながら綴ってゆけたらと思っています。