2013年になりました。
れからは問題提起も大事ですが、もっと明るいイメージを持ちやすい伝え方が
大事になってくるような気がしています。
もちろん、ひどい現状を訴えることで事実を伝えることは大事なのですが、
『こわい』とか『かわいそう』というようなイメージを持たれてしまっては、
良い広がり方をする為には少し適していないのかもわかりません。(個人的な感覚です)
もそも、動物の為に日々動いてくださっている方々の中に『かわいそう』だなんて、
そんな気持ちで動物と接している方はいないと思います。
『かわいそう』なのではなく、もっと奥から湧いてくる使命感によって
突き動かされている方がほとんどだと思います。
からこそ、『かわいそう』な状況を連想させるイメージを広げるよりも、
そのもっと奥から湧いてきている細胞レベルから“知っている”動物との共生の
素晴らしさを伝えることの方が、ダイレクトでシンプルで伝えたいことそのものだと思うのです。

012年は菜食ベースの1年でした。
夏頃、御縁があってスズメを保護し、
その眼を見たときに鶏肉をやめようと思い、
鶏肉だけは意識的にやめました。
かし、鶏肉をやめたのにはもうひとつ理由があって、
実はいつの頃からか鶏肉を食べるとどうしてもカッカカッカして、
なんとなくイライラするような、どうしても気持ちが落ち着かないことが
とても多いことをなんとなく感じていたので、
これは良い機会だ思い、鶏肉を卒業したわけです。
(私が思うに、気付いているならもうやめちまいな、というお知らせの為にスズメがやってきたのでは。)
みたいな本当の話で、食による感情や思考の方向性の“ぶれ”は
かなり密接な関係にあって、牛を食べるのが好きな人は牛っぽく、
豚が好きな人は豚っぽく、鳥が好きな人は鳥っぽくなったりするような気がするんですね。
(見た目の話じゃないですよ!)

私たちは人間ですから、人間を食べれば良いってことではなくて、
私たちはそれぞれの“私”であって、人間らしくというよりも“私”らしくいることに
考え方をシフトしてみることが大事なのではないかと思うのです。

少し意識して食生活を変えてみると、全てのことが用意されているような気になります。
なぜなら、そこにメッセージやお知らせといった存在を感じるような気になるからです。

イライラしないように。
くよくよしないように。
ポジティブに。


そんなことをしなくても、感じるようになるんです。(そんな気がする。)
ひとつひとつ出逢うものにメッセージを感じると、
イライラくよくよしたり、ポジティブにするより前にやることが
山のようにあることに気付いてきます。順番がわかるような感じです。
そうすると知らないうちに勝手に変わってます。
周りには気付かれないかもしれないけど、この変化に気付いたとき、
とっても不思議な感じがします。奇跡というには、人には伝えにくい奇跡です。笑

きたその時その時に意識せずとも、根本で食を意識してみるだけで、
全てのことの捉え方や行動が変化してきちゃうんです。

大きく出たもので最近では、いじめや体罰の問題もそうですが、
動物虐待の問題を根本的に解決していくひとつのツールとして、
菜食へ意識をシフトすることは、計り知れないチカラを発揮することは間違いないと思います。

全てのことに意味を感じてくると、無意味な飼育も放棄も虐待も、
それをしている人への異常なまでの感情の高ぶりも落ち着いてきて、
問題であったものが問題でなくなり、問題の本質が浮き出てくるように
よりクリアにわかってくるのではないかと思います。

食は、動物性のものをやめる食事ではありません。
自分を思い出す為、力を発揮する為、
本当のメッセージを受け取る為に大変適している食事なだけなのだと思います。


動物関連の方々が一人でも多く、菜食に触れることを想います。
(植物にも命や思考があるだろうという話については、また別の機会に。)