桜
桜は何度見ても美しい。桜が咲いた瞬間に、その場所は天国になるかのようだ。この世界は、暗闇があるから光りが美しく見え、孤独を感じるから人の温もりに涙する。そして天国のようなすばらしい場所もあるが、残念ながら地獄のような戦場もある。必ず真逆の要素が介在してるこの世界が、なぜこんなにすばらしいと思うのだろう。暗闇、孤独、地獄なんて決して必要ないのに、やっぱり世界は美しいと思う。それはきっと、一瞬で暗闇を照らしてくれる愛する人の笑顔や、一瞬で孤独を消しさってくれる愛する人の声、そして一瞬で地獄から引っ張り出してくれる愛する人の手のひらがあるからなのかもしれない。この世界に愛が満ちているから人生はすばらしいと思いたい。そういう気持ちにさせてくれる桜も、また神様の愛なのだろう。
幻
目に見えるものは、すべて幻。すなわちこの世は幻になる。神の国があるとすると、すべてが光り輝いてて、すべての人が善人だろう。すべてが統一されてて完璧なはずである。しかし、神様が造られたはずのこの世はすべてが二極の対からできている、光りが射さないとこに影があり、男と女、醜と美、愛と憎しみ。そして善があれば当然、悪も存在させなければこの世は成り立たなくなる。人間に善の心があるなら悪の心も絶対不可欠になる。こうして、このように造られてる僕らは苦悩することになっているが、平和を願う僕らにとって悪の心は必要ないはずだ。必要ないものを与えられてるということは、必要ないものを見ることになる。必要ないものを見る時は必要なもの(真実)が見えにくい。必要なものが見えにくいということは、すなわち幻を見ているようなもんだ。
平等
昔、会社の先輩が車の中に入れてた通帳とハンコを盗まれ全財産失った。その後、たびたび会社で給料袋や財布が紛失することがあった。数年前、その先輩はひどい事故にあったらしい。この先輩はたまたま災難続きなのか、自業自得の人生を生きてたのかは今もわからないけど、自分のしたことが自分に返ってくる法則がこの世にあるとしたら、生まれた瞬間は±0でみな平等じゃないとおかしい。けど現実は、生まれつきハンデのある身体の人や、生まれつきすべてを手にしてる者。おかしな話になる。その法則が必ずあるとすると、前世と来世が間違いなく存在することになり、平等に始まりがあり、この世ですべてが終わりじゃなく、来世が必ずある。この永い時の流れで人々はみな平等になるのだろうか?いや、最初から違う名前で違う顔で違う物を食べているのだから平等なんてもんは存在しないのか。平等があるとしたら、目に見える物は幻である。目には見えないけど、内にあるものが必ず平等に人にはあるはずだ。
