ところが 今 こうして私は生きている 
もちろん 自殺がうまくいかなかったからだ 

薬を 飲んで 「これで私の人生も終わりだ」と 思う間もなく
突如として気分が悪くなり 

その場で せっかく 飲んだ薬を吐いてしまったのだ

 全て 吐いたしまったかどうかは わからなかったし
 一体どれくらい吸収したのか? 
どれくらい 吐いてしまったのか?


これから 私は死ねるのか? 
それとも もう もう 死ねないのか ?

その場で判断することはできなかったが 
もう飲む薬もなくなってしまい  どうすることもできなくなり 
間抜けにも トボトボ と 自分の足で 歩いて家に帰った 

まだ日は 明るい頃で もしかしたら 土曜日だったのかもしれない
いつもは 誰もいない家 のはずなのに その時に限り 
父も母も ご丁寧に いつも私のことを可愛がってくれている
叔母まで その場にいた

私が自殺 図ったなどとは つゆとも知らず3人は 
【おかえり】と 私を迎えた 

【こんな時間にどうしたの? 】と 怪訝そうな顔をしたので 
【今 自殺しようとしてきた】と 私は答えた

今思えば もし私が 逆の立場であったならば 

【逆上して 取り乱し おそらく その場で気絶していたかもしれないし 
怒り狂って 娘をめちゃくちゃに 殴ったり 
叩いたり追求したりしていたかもしれない …

それなのに 私の両親は本当に冷静で 一言も理由も聞かず 
その時 家には自家用車がなかったので 
救急車も呼ばず 多分 タクシーで  私を 病院に連れて行ってくれたのだと思う

病院では 先生が【どんな薬を飲みましたか?】 
【どれくらい飲みましたか?】 
【どれくらい 吐きましたか ?】
と 聞かれたのだが 曖昧な答えしかできず 

胃洗浄でもするのかと思いきや 
何もせずに ただ数時間点滴をして 
数時間 寝かされて そのまま 家に帰された

その後も 両親は 私に一度も 
【どうしてこのようなことになったのか ?】
【なぜ自殺をしようと思ったのか ?】
【どこで どういう風にしようとしたのか ?】
【どうして 歩いて帰ってきたのか ?】
など 一言も聞くことはなかった…

 私は   
【ただただ 本当に 両親に申し訳ないことをした…】  と思った。
 また  【私は 本当に 両親に愛されている】 ことを確信した … 

当時は 今のような感覚で【愛】というものを感じていなかったし 
【愛情の深さも 全く理解できていなかった】 

ただ これだけ時間が経って 自分も親になり
その当時の親よりも もっと年齢がいって 振り返ってみると

どれだけ自分の両親が
【大人で 冷静で 私に対する愛情が どれほど深く 真の愛であったか…】
を 今でこそ理解できる

そんな 両親のおかげで 私は自殺の道を 断たれた後 
深い愛に支えられ 
【強く勇気を持って生きる道を選ぶ】ことができたのだった

中学校2年の終わりに 中学 2年全9教科の総合試験があり 
当時の神奈川県の公立高校の受験の合否の割合は 
中学校2年の成績 
総合試験の成績 
中学校3年の成績
そして高校入学試験の成績
の4本立てで
それぞれが 25%の割合を占めていた

つまり 中学校2年の成績と総合試験の成績で
自分の希望する高校に行けるかどうかの半分が 
決定されてしまうという状況だった

それで 私は まずは 希望の高校に入ることを  生きる目標として定め 
受験勉強に集中した

正直なところ 憧れの希望高校に入って 
私をいじめた子たちを見返してやりたい気持ちもあった
 つまり 逆境をバネにしたのだ…

私は 幸いにも クラスメイト2人の女子だけが 
私と一緒にいてくれたおかげで 何とか中学2年生を無事に送ることができた

もう何十年も 彼女達にお逢いしていないが
当時の事を思い返したらどれほど お礼を言っても言い尽くせない…

お逢い出来たら 出来る限りの真心で 御恩返しをさせて頂きたい と思う

中学校3年生は クラス替えがあり その時には もういじめはなくなっていた…
ありがたいことに 中学3年生は 普通の生活ができたので 
憧れの希望の高校に 女子で主席で 入学することができた

高校の合格発表の日 

高校の入口の壁に貼り出された紙に 
自分の名前を見つけた時には 涙がこぼれた…