詩は愉しい

愉しいから悲しみも

書ける

とてもすらすらとは行かないまでも

書きたい思いが強いので

それもやっぱり自分は

思うのだが

心の底と言うかどこかに

愉楽の思いが漂っているから

書きたいと言うことに

なるのではないだろうか

詩は愉しい

愉しくなければ詩など書かない

ほんとうに悲しくないから

そう言うことが平然と言えるんじゃないの?

そんな非難の声が上がっても

不思議ではないかも知れない

悲しみ

それは人に言えない位

やるせない時だ

でもそれに暮れている

ばかりではどうしようもないだろう

少しでもそこから離れることを

考えるのが

愉しさに強いこだわりがあると

じっとしてはいられないのでづ

愉しさをバックに

悲しみに向かい合って

そこから

詩は愉しい

詩があるから

悲しみも厭わない

詩を書くのは下手だけど

気持ちを込めることは出来る

込めるというのは熱意ですから

悲しみの闇から又出る

抜け穴はきっとどこかに

その根底には愉しみへの

強い思いが

ほらこっちの方はどう?

と言って来る