パブロ・ラライン監督がメガホンをとった本作は、ダイアナ元妃がその後の人生を変える決断をしたといわれる1991年のクリスマス休暇の3日間を、静謐かつ繊細なトーンで描く。10月14日から公開され、3日間で約3万人を動員。週末のランキングでは、洋画実写動員1位の好スタートを切った。  

 

映画のメインのロケ地となったのは、イギリスではなくドイツにある英国調の古城ホテルの「シュロスホテル クロンベルク」。建物内部のシーンの大半はノルトキルヒェン城という宮殿で撮影された。イギリスでの撮影は不必要なメディアの注目や余計な詮索が懸念されたため、ドイツで決行することとなり、メイキング写真では伸び伸び撮影に励むスチュワートやスタッフたちの姿を見ることができる。  

 

美しい装飾品や衣装も注目されており、プロダクションデザインを務めたガイ・ヘンドリックス・ディアスは「バッキンガム宮殿が映画の舞台だったら、誰もが見たことがあると思うけれど、サンドリンガム・ハウスに関しては調べることはできても、どんな建物か知っている人は少ない。そのため、実物に忠実であることに捉われ過ぎずにセットをデザインすることができた」と振り返る。  

 

さらに、ディアスは「普段現場で私がキャストと関わる機会はほとんどないけれど、本作は今までのどの現場にもなかったとても不思議な感覚があった。クリステンがセットに入って初めて、セットが完成したように感じた」と語っている。

 

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過剰な視線

「人とのつながりを求めながら、突きつけられる量の多さに皮肉にも距離を感じてしまう気持ちは、間違いなく理解できます」(クリステン・スチュワート)

 

クリスマスを一家で祝うために、エリザベス女王の私邸サンドリンガム・ハウスに向けて赤いオープンカーを運転するダイアナ。パブロ・ラライン監督による『スペンサー ダイアナの決意』(21)の冒頭で、ダイアナ(クリステン・スチュワート)は道に迷ってしまう。ぶっきらぼうな言葉で独り言をつぶやくダイアナ。よほどダイアナの側近でない限り聞いたことはないであろう彼女の「素の言葉」は、エッジが効いていると共に、彼女の持っていた体温のようなものや実存を本作に宿している。

 

 

実際の悲劇に基づく寓話『スペンサー ダイアナの決意』は、実話を着想の基にしながらダイアナの心の中の世界へと潜り込んでいく。ダイアナのひび割れた心の隙間から潜り込んでいくような神経症的で幻覚的な世界。セリーヌ・シアマによる『秘密の森の、その向こう』(21)での素晴らしい仕事も記憶に新しいクレア・マトンによるカメラは、ロングショットでダイアナの彷徨を、クローズアップでダイアナの焦燥を捉える。  

 

スタンリー・キューブリックの『シャイニング』(80)を参考にした空撮、そして室内のインテリア。『シャイニング』のホテルと同じように、サンドリンガム・ハウスは「屋敷の記憶」を纏っている。ヘンリー8世の寵愛を受けながら、別の女性との結婚のため邪魔者として処刑されたアン・ブーリン王妃。ダイアナは彼女の悲劇の物語に自分を重ねている。王室一家がテーブルを囲むディナーのシーンでは、誰かが食器の音を立てれば、その音を耳をそばたてて聞いている者がいる。ダイアナの身に着けているパールのネックレスが、彼女を苦しめる幻聴であるかのようにジャラジャラと音を響かせる。

 

オリヴィエ・アサイヤスの『パーソナル・ショッパー』(16)におけるクリステン・スチュワートの存在感に感銘を受けたパブロ・ララインは、ダイアナ役に彼女を起用した理由を次のように語っている。 

 

「彼女がとても巨大な謎を運ぶことができることを教えてくれたのです」

 

パブロ・ララインが長らく追いかけているイメージだと語っている、『死刑台のエレベーター』(58)におけるパリの舗道を歩くジャンヌ・モローのイメージ。焦燥した表情で、しかしエレガントさを失わずに歩くヒロイン。本作においてこの伝説的なヒロインのイメージは、ダイアナの全身をフルショットで捉えるカメラで追求されている。生まれ育った家の方に向かって霧の風景を駆けていくダイアナ。凍えるような寒さの夜中に屋敷を抜け出し、警備員に見つかるダイアナ。ダイアナ=クリステン・スチュワートが全身でカメラに収まり歩み出すとき、映画は激しく動きはじめる。悲劇の鎖を振り切るダイアナ。そこには生の高揚感がある。  

 

ジョニー・グリーンウッドによるバロック的な宮廷音楽とフリージャズが組み合わさったような素晴らしい劇伴は、繊細なガラス細工に少しずつヒビが入っていくようなダイアナの心理をギリギリのエレガンスで反響させている。バロック的なテーマを反復させながら徐々にフリージャズ的な展開が前景に強調されていくこの劇伴には、ダイアナが身に纏うファッションのように色彩のプリズムを彩る美しさがある。なによりカオスの中に色彩のプリズムを放つこの劇伴は、ダイアナ=クリステン・スチュワートの反抗的なエッジと響き合っている。  

 

「週に2、3回は、ダイアナが亡くなっているという事実に完全に打ちひしがれていました。毎日毎日、彼女を生かすために戦っていたのですから」(クリステン・スチュワート)

 

ダイアナは生きようともがいている。クリステン・スチュワートは、彼女が出演しているシャネルのCMを彷彿とさせる生気の漲るダンスを披露する。すべての悲しみを振り切る舞踏のようなダンスは、ダイアナの人生を刹那的に解放させる。たとえ悲劇がスクリーンの外に置き去りにされたままだったとしても。エレガントに壊れていくダイアナ。マギーがくれた思いがけない言葉に笑顔を取り戻すダイアナ。王室の反抗者としてのダイアナ。すべてが矛盾することなくダイアナ=クリステン・スチュワートのボディランゲージとして記録されている。『スペンサー ダイアナの決意』は、ダイアナが何故ここまで人々に愛されるアイコンになりえたのか?という問いに対して、説得力のある仮説=寓話を捧げることで回答しているのだ。

 

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