患者の気持ち… | 顔面神経麻痺でもごきげんに過ごす方法

顔面神経麻痺でもごきげんに過ごす方法

2017年に顔面神経麻痺(重度)を発症。後遺症を抱えながらもゆるーく不定期更新中(*ˊ꒳ˋ*)「自分だけじゃない」そんな風に思ってもらえたらと同じ悩みの人との輪を繋いでいます。
*T大病院でボトックス。再建手術は未定
*LINEで交流してます

皆さんからの

貴重な情報もですが

この優しさ

寄り添いこそが

最上の贈り物、


そんな気がしていますお願い



経験談のご紹介の合間に

少しだけ閑話休題。



今回は「患者の気持ち」について

少し(?)辛口の

ぶっちゃけトークです。



病気に対する患者の想いは

医療のデータには

蓄積されない。


とすると


「患者の気持ち」なんて

必要とされていない?


診察室ではそんなものは

無いもののように

扱われている?


誰であっても

どんな状況であっても

数いる同じような患者の

一症例として見ているに

過ぎない?


大切にされるとしたら

臨床データとして

学会に出せるような

珍しい症例だからなのかな?



診察を受けていてそんな風に

思ってしまうこともあります。



そんな医師ばかりじゃない!

素晴らしい人が大勢いる!


ということも

わかってはいるけれど


たぶん構造上の問題で


医師も時間に余裕が

無いことが多いし、


症状以外の話を聞く

そういう役割でも

ないから。



沢山いる患者の

待ち時間をなるべく無くし

数をこなすためにも

ある種淡々とした診察も

必要なことでしょう。



でも。



それでも


私たちは「数字」じゃない!


それを

医師に求めるのが

お門違いなら。


この病気に精通した

カウンセラーがいて

医師の診察後に

応対してくれたら…


そんな風に思ったことは

数知れません。


心のケアって

みなさんどうしてますか?


話をするにしたって

この病気のことを

よく知らない人には

話したくないし、


話したところで

わかってもらえるとも

思えなくて。



聞かせた相手にも

変に気を遣わせるのが

なんだか嫌で


5年間のうち

リアルで繋がっている

人たちに詳しいことまでは

ほとんど話してこなかった

この病気のこと。



何も言わずとも

詳しく話さずとも


「わかってくれる」


ここでの仲間の存在こそが

生命線だったな、と


落ち着いて考えられるように

なった今になって

改めて感じています。



だからここにいる

皆さんには

本当に感謝しています。



人は、

全く予期しなかったような

苦境に陥った時

何かに誰かに頼りたいもの。



最終的には

自分の足で立ち上がるにも

その過程ときっかけが必要。



容貌の変化を伴う病に特化した

カウンセリング制度。



それが

健康保険内で受けれたら

どんなに素晴らしいか。



あったらいいな。



落ち着いた今でも

本当に思います。



私たちは。


「患者」


ではなく


それぞれの

心を持った一人の


「人間」


なのですから。





手乗りライチョウのヒナ。

最近「木削り」に夢中。


木は黙っていますが

いつも優しく寄り添ってくれます。




あ。肝心なことを。。



例え優しく寄り添うような

高度なことはできなくても


患者の感情を逆撫でするような

振る舞いは、例え医師とて

許しませぬムキー



聞き捨てならないお話が

古今東西

まま届いています。



回復にはメンタルの安定が

必要不可欠なのだから。



何もできないなら

せめて邪魔だけはしないで

いただきたいものですわ。









ご意見あればぜひ。

反対意見ももちろん。


診察時、こんな表情になっている人、

沢山いると思うの。