顔面神経麻痺と縄文 本当に本当の自分を取り戻す道① | 顔面神経麻痺でもごきげんに過ごす方法

顔面神経麻痺でもごきげんに過ごす方法

2017年に顔面神経麻痺(重度)を発症。後遺症を抱えながらもゆるーく不定期更新中(*ˊ꒳ˋ*)「自分だけじゃない」そんな風に思ってもらえたらと同じ悩みの人との輪を繋いでいます。
*T大病院でボトックス。再建手術は未定
*LINEで交流してます

縄文人仲間を探しています。



小さな頃から何故か惹かれる縄文。



小学校の図工でも

粘土が課題なら

決まって土器や土偶

作っていた記憶があります。



その時は理由なんて考えもせず

「ただ好きだから」

せっせと夢中で土を練って

形作っていました。



稚拙ながらも

生命力と創造性に溢れた

いい土器土偶を

作っていたように思います。



私の住んでいたところも

超高層ビルの

建設がはじまった

副都心に隣接する

都市部でしたが


昭和の当時はまだ

自然が多少なりとも残っていて


木登りや

基地づくり


椎の実などのどんぐり

ノビルや花の蜜、

柘榴やアケビなどを採集して食べたりと

外遊びを好んでいた子どもでした。



木工などの手仕事が好きで

肥後守や切り出し小刀が

すぐ身近にありました。



女の子らしいというよりは

原始的な遊びが好きだった。



しかし大きくなるにつれ

私も順調に成長していき、


ゲームなどの文明的な遊びや

塾通い、受験や

上下関係やルールの厳しい部活

恋愛や就職、結婚、出産など

文明社会の一般的なルートを辿り、


いつしか私の中の縄文は

教科書にほんの数行出てくる

歴史の中の一コマの中に

埋没していきました。



文明社会のレールの中で

よりよく、より豊かに

発展と成長、拡大をしていくこと。



女性も男性と同じような仕事で

同じように成果を上げる。



それが自身の命題だと固く信じて

「そんなものだ」と

疑問に思うことなく

日々やるべきことに

忙殺されながらも

必死でこなしていました。



大多数の価値観の中に

自分というものが埋もれ

いつしか本当の自分が

どんなだったのか

何が好きで

何がやりたいのかを

少しずつ

でも確実に

忘れていきました。



休みなく働いて

心身を壊してまで得たお金

ホテルでの盛大な結婚式に

ブランド宝飾店の指輪

ヨーロッパの新婚旅行

湾岸エリアに建設された

新築のタワーマンション

新しい家具に家電

新しい車

整った医療機関での出産

より良い子どもへの教育

将来への備え…



こうやって今並べると

お恥ずかしい限りですし

そこに全く価値を見出さなくなっている

自分には正直驚きますが


それでも当時は

人並みに十分に

豊かに暮らしている

つもりでした。



何の迷いもなく

過ごしているつもりでしたが


あったのは心の奥の

僅かな違和感。



大切な何かを

置いてきてしまったような


自分の人生ではない

誰か別の人の人生を

生きているような。

 


自分自身を否定し、

攻撃しつづけているような


居心地の悪さと悲しさ。



子供の時のように

やりたいこともなければ、


ふんだんに時間はあるのに

時間が経つのがあっという間に

感じられるほど

夢中になれることもなく


日々に追われる。



持たないことを恐れ

持ったらそれを失うことを

恐れて維持するために

躍起になる。



人と比べて

一喜一憂したり


過去を振り返り

未来のために

現在を消費したりする。



やりたくないこと

苦手なことが

あっても

家族のため人のために

やることが

正しい人のありかた。



そう思ってきたし

そう言われて

過ごしてきた。

 


笑いたくなくても

人間関係の円滑のために

笑う。



傷付きたくないから

人とは必要以上に距離を詰めない

甘えない。



「みんな我慢している。」



だから。



でも。



この人生は一体誰のものなんだろう。


ここにいるのは

誰のための自分なんだろう。。



仮に

今日で貴女の人生は終わりです。

お疲れ様でした。



そう言われて

100%心から

良い人生だった

満足だったと

言い切れるのだろうか…



言えないな

嫌だなぁ。



そう思った瞬間

何かが爆ぜるように

割れたかのように

思えて。



パチンという

音がした気がしました。

  


見計らっていたかのように

そこから出てきたのは

原因不明の病。



そう。


2017年の夏

顔面神経麻痺を発症したのでした。



その後の経緯は

ブログに書いている通り。



ブログをスタートするまでは

辛く悲しい日が続きました。



人生が終わってしまったと

思いました。



目が閉じない中

辛うじて眠ることができる

ほんの僅かな時間以外

毎日一日中嘆いていました。

 


身体は辛かったし

何よりも辛い現実に直面して

精神がおかしくなりそうだった。



今思えばあの時は精神科に

かかっておくべきだったの

かもしれません。



励ましてくれた

家族の存在はありましたが、

積み上げてきた豊かさなんて

根本的な役には立たないことを

思い知りました。



思えばこれが本当の自分に

還るための

縄文人への

第一歩でした。



このままでは嫌だ。

本当の自分を取り戻したい。



この病気になったことは

意味があった。



身体は元気なのだから

チャンスはある、

バネにしよう。

 


「変わろう。」



そう思い始めてから

人生が大きく動き始めました。



私の離婚もその流れのひとつ。

 


多分全てを書き切ることはできない

我ながら壮大な話。



時間が沢山あるから一部分だけでも

書き残しておきたくなりました。



自分のためであり


もしかしたら

誰かのためでもあるかもしれない、


去年の夏を過ぎる頃から

力を入れて書きたかったこと。



そう考えると

今回の骨折も大きな流れのひとつ

かもしれないなと思っています。


おかげさまで

少しずつ腫れと痛みが引いてきました。



全てはタイミングですね。



続きますが

少々内容が重たいので

限定記事です。



興味がある方は

遠慮なく申請してください。


真脇遺跡。

2022年縄文の旅から。