初めての外出の次の週から私は毎週末実家に外泊するようになりました。外泊訓練です。


病院の規則で本来外泊は回数が決まっていましたが、子どもがいることなどを主治医のメタル先生や担当看護師の豆カレーさんが配慮してくださり、家事育児をする体力も少しずつつけていくという意味で特別に許可してもらえました。


週末は娘と過ごせる😍実家に帰れる✨とウキウキしていた私でしたが、すぐに壁にぶち当たりました。


娘のミルクの時間になり母がいつものように作ろうとしたとき旦那が


「ちびまんじゅうに作らせます真顔🍼」


と言いました。


粉ミルクの量を教えてもらって哺乳瓶に入れてポットのお湯を目盛りまで入れて蓋をして振って溶かして~そしたらだいたい人肌くらいになるまで水道で冷やして~とやっていって。


手に少し出せば熱いかどうかわかるから、と言われたのだけど、私にはわからなかったチーン熱湯なら普通の人より少し遅れてアチッとなるようにはなっていたけれど、哺乳瓶から出てくるくらいの量ではミルクが熱いのかぬるいのか、感覚が無さすぎてわからなかったショボーン


わかんないよ、と言うと両親はびっくりした顔をしていたようなポーン


そして旦那は


「一番感覚がわかるところはどこだ?」


「うーん、病院でお風呂に入ったときは首は少し熱いとかそういうのがわかるかな?」


チーンチーンチーン


意地になった私は洗面所でほっぺたにミルクをかけました。でも、それでもわからなかった💦


結局これも出来ないのか💨とものすごく落ち込みましたショボーン


家の中での移動もとても大変でした。


自分たちが寝る部屋は畳で、そこを移動する方法はお尻歩き。まだつたい歩きも出来なかったのでひたすらお尻で移動💦床に座ったら自分では立ち上がれない笑い泣き


夜中でもすぐにミルクが作れるようにと電気ポットや粉ミルクなどは置いてありましたが、そこに行くのが私にはまず大変でした💦歩けたら2歩くらいの距離でしたが。作ったら旦那に洗面所で冷ましてきてもらって飲ませる。そしてこの頃は確かミルクの間隔も四時間おきくらいだったと思います。


そして夜トイレに行きたくなったときも大変でした。いや、大変だったのは私ではなく旦那ですがチーン

床から立てないので寝ている旦那を起こしてトイレまで連れていってもらわないといけませんでした。


なので外泊が終わって病院に戻ると朝まで一度も起きずに爆睡😪

朝、夜勤の看護師さんに、すっごくよく寝てたね、よく頑張ってるよ、なんて言われたりもしました。多分イビキガーガーかいてたんだろうな🤣


毎回お尻歩きで移動することでものすごく体力を消耗していて、なんとか他に動く方法はないものかと考えたり、歩けないと家の中を移動するのもこんなに大変なんだな、こんなはずじゃなかったのに…なんか私…どうしたらいいんだろう…チーンと途方にくれたり。

歩けていたときに簡単に移動できていた距離が、たった2、3歩の距離がこんなに大変だなんてチーン💦


やっとミルクが終わったと思うと次はオムツ

またお尻歩きで今度はオムツの置いてある場所まで移動。いつの間にか私のお尻と太ももの境目にはすれたような黒ずみが出来ていました💦


癒しは娘のニコッと笑いかけてくれる笑顔でしたラブ