いつか歩けるようになってまたこのお店に来よう、食事を終えて車に戻るときにお店の外観を見ながらそう思いました。

そしていよいよ実家へ

早くこちびまんじゅうに会いたい



実家に着くと、父が出迎えて車椅子を押してくれました。
父も嬉しかったようで、物凄い勢いで車椅子を押したので私は前に突っ込みそうでものすごく怖くて、

「怖い怖い、もう少しゆっくり押して」

と何度か言いました。

実家の庭はほぼコンクリートで平らでしたがそれでも病院の床と比べると当たり前だけど、でこぼこしていてアセアセ

これも、押される側になって初めてわかったこと。

車椅子を外で勢いよく押されると、石とかに車椅子が引っ掛かったときに車椅子ごと前に倒れそうですごく怖いこと。

前の記事でも書きましたが、実家は庭から家の中に入るのに困らないようにスロープが着けてありました。

私たちはテラスから入り、テラスと繋がっているいつもみんなで食事をする部屋に座りました。

その大きめのテーブルにタオルを何枚も敷いて、母がそこにこちびまんじゅうを連れてきてくれました。

こちびまんじゅうは私が誰だかわからないようで、話しかけても、ちらっと見るくらいでした。

そして気づいてしまいました。

こちびまんじゅうは、私の母と旦那の方ばかりを目で追っていました。今考えれば、毎日一番近くでお世話してくれているのだから当たり前なのだけど、その時の私はそのことがものすごくショックでした。

父の

「ああ、だんだん慣れてきたわ。」

という言葉に、もちろん悪気はないのはわかっていたけど、敏感に反応してしまいました。

旦那のお義母さんも、私が初めて外出するというので来てくれました。

オムツ替えや着替えなどを一通りやってみようということになり、私は車椅子から立ってテーブルにお腹をつけて押さえながら立ち、こちびまんじゅうの服を脱がそうとしましたが、まったくできませんでした。

まだ私の手は指でつまむという動作が出来なかったので、ベビー服のボタンをはずしたりとめたりすることが出来ませんでした。

その他にもやってみればやってみるほど悲しいくらいに何も出来ませんでした。



そして、私が手こずっている間に、こちびまんじゅうが愚図らないようにみんながこちびまんじゅうに声をかけてくれるのですが、

「こちびまんじゅう、ママにお話ししたら?」

「こちびまんじゅうちゃん、いつもみたいにお語りしたら?いつももっとお語りするでしょ?」

などなど。

こちびまんじゅう、いつもそんなにお話ししたりするの?

ああ、私はこちびまんじゅうの、このいつもにいなかったんだ…だからみんなが知っているいつもがわからない…

それにみんなこちびまんじゅうを囲んでもう輪が出来てるんだな…

今考えれば、私が入院している間、家族一丸となってこちびまんじゅうを育ててくれていたのだから感謝しかないのだけれど。

私の実家は自営業をしているのですが、特に母は私が入院している約一年間くらい、休職のような形をとり、会社には行かずにずっと家でこちびまんじゅうを見てくれていました。
でも、まったく仕事をしないというわけにはいかないので、こちびまんじゅうが寝ているときや、夜みんなが寝静まった時間に仕事をしていたようで、そのことはあとから旦那から聞きました。この時の私はそういうことを深く考える余裕がありませんでした。

ここはこのボタンととめるんだわ、と一生懸命教えてくれている母の声を聞きながら、私は正直もうめげそうでした…

私が産んだのに私の子供じゃないみたい…

もちろん、顔に出すことも態度に出すことも、ましてや何か言うこともしなかったけど、浅はかだったかもしれないけれど、外出してこんなことで落ち込むなんて考えてもみなかった…


密かにすごくショックを受けました

外出が出来たら次は外泊も…

旦那からはそんな話も出ていたけれど、しばらくはしなくてもいいかな、と思ってしまいました。

でも、そんなとき、大学病院に入院していたときに看護師さんが私にかけてくれた言葉を急に思い出しました。

「今ね、赤ちゃんと離れていて辛いだろうけど大丈夫よ。10ヶ月もお腹の中で繋がってたんだから。忘れることなんて一つもない」