私の気持ちが緩んでいたのはツンデレ美人さんにはお見通しだったようで
ある時、

みんなちびまんじゅうさんの病棟の人はどんどんリハビリ室に来て自主トレをしてる。
最近たるんでるからどうやって締めてくれようか考えてる
ちびまんじゅうさんはこれから帰って子育てしながら家事もして、それをやっていかなくちゃいけない。ここで一人の時間楽しんでる場合じゃないから
的なことを言われました(怖いでしょ笑)


たまたま同じような時期に旦那にも。
捕まりながら立てるようになったので、車椅子でランドリールームに行って自分で洗濯をする許可をもらえ、洗濯を始めていました。
今までは洗濯物は旦那が持ち帰って、母が洗ってくれていました。
娘をみてもらっているし、少しでも家族の負担を減らしたいと思いました。
洗濯物は、大きなゴミ箱みたいな入れ物にまとめて入っていました。
旦那が泊まりに来てくれていたときに、洗濯物の入れ物に入っている中身を出して、とお願いすると、自分で出来るだろ‼️と言われました。
その入れ物は底が深かったので、車椅子に乗ってるから出来ないと言うと、まずはやってみろよ‼️と怒られました。
そして夜寝るときも、毎日ナースコールをして頼んでいたように旦那に
「ちょっと寝るから布団かけてくれる?」
と言うと、
旦那 「はあ?起き上がれるんだから、布団くらい自分でかけられんだろ」
と言われたので、
私 「手もまだあんまりきかないから布団をうまくつかめないし、足が動かないから出来ないんだよ💢」
当時の私は手もまだあまりきかなくて、力もなかったので、布団はとても重くて、自分ではまだうまく扱えないと感じていました。
足もあまり動かず、感覚はまだほとんどなかったので、自分の足が布団の中で変な風に曲がっていないか、指は爪は引っ掛かってないか、見て確認していたので、ついつい毎日ナースコールをして布団をかけてもらっていました。
旦那 「おまえさ、まずはやってみろよ。なんだ?ここにいて人に頼むのに慣れちゃったのか?やってみるっていうチャレンジ精神みたいのなくなっちゃったのか?」
私 「酷い‼️体が動かない私によくそんなことが言えるね💢動くならやってるよ💢今までだって仕事しながら家事も何でも全部私がやってたでしょ‼️💢」
病気になる前は私だって働いていたし、家のこともほとんど黙って私がやっていたのに。出来なくなったらなんでこんなに偉そうに言われなくちゃいけないの
と私はものすごく憤慨しました。

旦那 「病気とそういうのは関係ないと思うよ。今、出来ないなら出来るところまでやってみりゃいいじゃん。お前だって大変かもしれないけど、俺だってお前のママとパパだって毎日精一杯、一生懸命やってるんだよ。病気になった本人が一番辛いのはわかるけど、こちびまんじゅうだってお前がいないのに毎日ミルク飲んで、寝て、泣いて頑張ってんだぞ。」
そうだ、こちびまんじゅうは私が今いないことをきっとわかってる…そう思ってはっとしました。
すごく悔しかったけど気付かされました。
人に頼むのが当たり前になってた。
やる前から、今私は手が動かないから、足が動かないから仕方ないと、すぐに頼ろうとしていた。
体が動かないことで、自分でもどうしていいのかわからない部分も大きかったのだけど。
やってもらえるのが当たり前になってた
出来なければやってもらえる、そう思うようになっていた。

そして、私、いつの間にか、やってみようという気持ちがなくなってた

トイレに行くのも人に頼まないと行けない、自分のことは自分でしたいと思っているくせに、出来ないと思うことはやってみる前から人に頼むのが当たり前になっていました。
そうだ、ちゃんとしなくちゃ‼️ここにいて人に頼りきる生活が当たり前になってちゃだめだ。
自主トレもしよう。
と思ったものの、具体的には何をすればいいのかまったくわからず、まずはベッドから離れて机に向かって何か作業をすることで少しでも体力をつけようと思い、折り紙を始めました。折り紙はうどんさんからいただいたものがありました。
手のリハビリは他にも、モンブランさんに借りた道具を使ったり、これまたうどんさんにいただいた、にぎにぎするボールみたいなものを使っていました。
そして足のリハビリは、ベッドの上で、ツンデレ美人さんといつもやるストレッチをまねして一通りやりました。その後は、ゆっくり、本当にゆっくり気を付けながらベッドの両脇の手すりに捕まりながらまずは膝立ちの練習をしてみました。
最初はぐらぐらしていて手を離せなかったけど、だんだんと手放しで膝で立っていられるようになりました。
か細くなってしまった声も、私の部屋は個室だったのでドアを締めてYouTubeで音楽をかけて大きな声で一緒に歌ったりしました。
ちょうどその頃、旦那からそろそろ外出をしてみないかという話が出ていました。
そして私はその外出で病院の外に出ることにより、本当の意味で自分がいかに人に頼りきった生活をしているかを思い知らされるのでした。