「まずは、5分でも10分でもいいから頑張って自分で食べてみましょう。疲れたら誰かに声をかけてくれれば、お手伝いしますからね」

自分で食べられる自由
当時、まだ手は、なかなか思うとおりには動いてくれなかったけれど、食べさせてもらうのと、自分で食べたいものに手を伸ばし、自分のペースで食べられるのは、何故か美味しさも全然違う気がしました。もちろん、食べさせていただいたことは本当に感謝しています。

食事の形態はまだ刻み食で、とろみがついているものでしたが、食欲というか、食べたいという気持ちも少しずつ出てきていて、私の右前のおばちゃんが普通食をおいしそうに食べるのを見て、早く私もああいう普通のが食べたいもぐもぐそう思うようになりました。

ただ、ずっと寝たきりで体重も落ちてしまい、筋肉も落ちてしまっていた私は、リクライニング出来る車椅子に乗っているのもお尻が痛くて痛くてチーン
大袈裟ではなく、最初は5分も座っていられませんでした。普通の人は、座っているとき、除圧というのをしているようで、お尻をちょっと動かしたり、足を組んでみたり、ずっと座ったときの体制でいることはないようなのですが、当時の私は車椅子に座ったら座りきり。自分でお尻を浮かすことも出来ないので、痛くなったらただ耐えるのみ滝汗

しかも、疲れて誰か近くの看護師さんや介護士さんを呼んでみても、まだ大きい声が出ない滝汗
かすれたようなか細い声では食堂にいる他の患者さんたちの声や職員の方の声にかき消されてしまって聞こえない…

でも、必ず誰かは気づいてお手伝いをしてくれました。



そして、ここはリハビリ病院

車椅子に座っていられるようになることもリハビリでした。

私の担当の看護師さんは、きっと最初の頃から、私が食堂で無理にでも笑っているのをわかってくれていたんだと思います。そしていつも私の心やプライドが傷つかないように、本当にうまくいろいろなことを誘導してくれたと思います。

その一つが車椅子に長く座る練習をすること。

「もう少し座ってて。これもリハビリだから」

そんなふうに言われたことは一度もありませんでした。

「疲れたので部屋に戻りたいです」

私がそう言うと

「うん、そんだね」

と言って決して、まだだめだよ、とか、これも練習だから、などと否定をせずに、私の要望を受け入れてくれました。

そして部屋に戻り、ベッドに寝かせてくれて少し休んでいると、みんなが食事が終わって部屋に戻った頃に来て、

「ちびまんじゅうさん、パソコンやってたんだよね?少しやる?」

そう言って、私が

「はい」

と言うと、ナースステーションに連れていってくれて、

「インターネットやっていいよ、何か見たいのある?」

と言って開いてくれました。

私が

「今日はいいです」

と言うとそれ以上は無理には言いませんでした。

それでも、正直、最初の頃は、もうお尻が痛くてその事しか考えられない、早く部屋で休みたい、ネットを見ながらもそう思っていました。


でも、インターネットを見にナースステーションに行くと、パソコンのところに必ず誰かいて、いろいろ話しかけたりしてくれて、私はそれも楽しくてだんだんと声をかけてもらえた時には行くようになっていました。

そして、担当の看護師さんは、なるべく部屋でも起きて座って活動できるようにと考えてくれたのか、折り紙を持ってきてくれました。

私は、こちびまんじゅうが生まれてから母親として何もしてあげられていなかったので、部屋でも、そして食堂にも折り紙を持っていってもらい、こちびまんじゅうに初めてのプレゼントを作り始めました。

体幹はまだぐにゃぐにゃで、自立してベッドに座ったりは出来ず、前屈みになればそのまま頭から床に落ちてしまう、そんな感じだったので体は車椅子にもたれかけたままではありましたが、こうして私は少しずつ、寝たきりの生活から、体を起こし座っての生活をするようになっていきました。

ツンデレ美人さんから言われていた私の次の目標は、普通の車椅子に乗れるようになること、でした。