せん妄から意識レベルが改善した私は、にらみつけてしまった看護師さんが後日、心配して顔を出してくれたときに
「この間はごめんねー」
と謝りました。
「ちびまんじゅうさん、元気になってよかったよ」
そう言ってくれました。
そして、日曜日、こちびまんじゅうの面倒を見てくれていた両親も私に会いたいだろうと、土日は私と一緒にいてくれた旦那が、こちびまんじゅうのお世話を一時的に交代してくれ、両親が私のところに面会に来てくれました。
旦那とは文字のボードや口パクでうまく話せるようになってはいたものの、他の人とはまだまだ通じづらいこともあり、ましてやそのやり方で初めて私と会話する両親。
会話することがこんなに大変だとは・・・考えてもいませんでした。
父と母が部屋に入ってきて、今日午前中にあった出来事や、さっきまで旦那がいてくれてこんな会話をしていたこと、週末いつも泊まってくれて旦那のいびきが聞こえてくると安心するということ、などなど伝えたいことは山のようにあったのですが・・・
口パクで話してもほとんどわからない。
文字のボードを使って会話しようとするけれど、リハビリの先生が作ってくれたこのボードがなぜ透明なのか、こうやって使うんだよ、という説明もうまくできないまま、結局は旦那と最初にやっていたよりももっと時間のかかる「あ?い?う?・・・」というやり方から始まりました。
ようやく少し文字がつながると、せっかちな父は先読みして、
父 「ああ、○○ってことか?」
私 ぶんぶんと首を横に振る、口パクで「ちがう」(私の言いたい事はそうじゃない
)
母 「もっとゆっくりやってやりなよ。早いんだよ。」
と父に言うけれど、同じような繰り返しが続き・・・
こういうことなんじゃないの?こうしてほしいんじゃないの?と二人で推測していて、そのたびに私は「ちがうそうじゃない
」
そして私は、ああ、伝わらないんだ、もう言っても無駄だ・・・と急に卑屈な気持ちになり、話すのをやめてしまいました。
今思うとこれは本当に仕方のないこと、わからなくてあたりまえだったのだけれど。
それでも父は「あきらめないぞ」と、にこにこしながら文字のボードで会話を試みるもなかなか伝わらず・・・
私はイライラして怒った顔で何度も首をぶんぶんと横に振りました。首が痛くってしまうほど。
すると、なんだか呼吸がとっても苦しくなってしまって、今思えば興奮したことによる軽い過呼吸だったのではないかと。
母が「ちびまんじゅう、もう少しだから頑張りなこちびまんじゅうも待ってるから」と言っておでこをなでてくれていましたが、呼吸が苦しくなってしまった私はそれさえも煩わしく感じてしまい、首を振ってそれをよけようとしました。
父が「ママ、ほら、あんまりそうやってても苦しいんだろうから、そろそろ行ってみよう」
「じゃあ、また来るからね」
そう言って両親は帰っていきました。
自分の言いたいことが伝わらないことにイライラして興奮してしまった私は、両親が帰った後もしばらくは呼吸が苦しくて、落ち着かなくちゃ、はーはーと呼吸を整えながら、さっきまでのことは考えないようにしました。
でも、もう、そのイライラのストレスとは関係なく、両親と会話している途中から私は自分の病室ではないところに自分のベッドが置かれていている感覚になっていました。
両親が帰ってきて、
旦那 「どうでした?」
母 「それがね・・・、○○さん(父の名前)が、せっかちに、ちびまんじゅうの言うことを
最後まで聞かないでやるもんだから、なんだかちびまんじゅうもイライラして、首をぶ
んぶんふったりして、口から泡もたくさん出てきちゃって・・・」
これを聞いた旦那は「えっ」「はあ~
」
そして、次の日から私はまたせん妄状態になりました。