よく世間を見ていると、”相手のため”というカモフラージュが
目に留まる。

相手の傷を舐めあっていることが、お互いのためだと思い込んでいる
ようである。

そして、相手の至らぬ点や、こうした方が良いのでは?とアドバイスを
すると、相手の生き方を否定されているように捕らえてしまうのか
そういう人のことを遠ざけてしまう。

確かに自分を認めて欲しいというのは誰しもが持つ本能であり、
それを否定するつもりはない。

でも、真の友人や仲間というのは、それを超えてダメなものははっきり
ダメといってくれる。傷を舐めあうよりも、より傷が広がらないように
今のうちに治療を進めてくれる。そういう人達だと思う。

今の世の中、人権だの格差社会だのという聞こえの良い言葉で満ちあふれて
しまっているが、これははっきりいって”過保護”社会の何物でもない。

人間=動物で言えば、自分で生きていく力が無い人は、生きてはいけない。
ごく当たり前のことだ。

親離れできない子供を作ったのは、子離れできない親。これも過保護。

助け合って生きていく。これは”甘えあって生きていく”ではない。

傷を舐めあってばかりでは、お互いの悪いところばかり口写しで感染する
ばかりだ。本当に助け合っていくのならば、自己治癒力を備えさせて
あげることなのではないだろうか?

昨日の自分よりも1mmでも、1mgでもいいから新しい自分を積み上げて
いくことが楽しくて仕方ない。この楽しみを知ることができた自分は
きっとラッキーなんだろう。
普段仕事をしていると、あっちこっちから無駄話やら
同じこと何回聞くんだ?という会話が耳に入ってきて
仕方がありません。

これを相談すると

”そんなの聞かなきゃいいじゃん”

と言われてしまいますが、聞かなくても音は耳から
強制的に入ってきてしまいます。

それでも同時に1つ2つのことしか出来ない人間であれば
自分が何かやっていればそれでシャットアウトできるの
かと思いますが、幸か不幸か同時に5つ6つのことを
考えながら行動する私にとっては、これがなかなか難しい。

耳に入ってくるたびに”オイオイ”とか”馬鹿じゃないの?”
とか”何回同じことで騒いでんだよ”と突っ込んでしまうのです。

これが非常にストレスの一因となってしまいます。

別に自分がスーパーマンなのではなく、いい大人だったら
当たり前の仕事量なんだと思うんですけどねぇ。

ホントイライラしっぱなしです。
人間、問題に直面すると、どうしても目の前の問題だけで頭がいっぱいになり
苦しくなり、それを取り除こうとしてしまいます。

相手のためとかいいつつ、結局は自分の苦しみを取り除きたい、自分が楽に
なりたいと思ってしまうものです。

それは当たり前のことであり、別に悪いとは思いません。

ただ、今抱えている問題の本質はなんなのか?将来その問題を放置しておくことで
10年後、20年後、自分がいなくなったときに、その問題が始めて明らかになる
のではないか?そこに本質があるのではないか?と考えることも重要ではないで
しょうか?

今とりあえず自分が嫌な思いをしたくないから、このことを問題の本質として
それだけを解決しようとする。それが果たして本当の解決といえるのでしょうか?

自分のいるうちは、相手が自分の苦しみになって欲しくないから、とりあえず
それが相手のためにならなくても、表面上の解決を求めてしまう。

今マイナス1のことをしてしまう結果になったとしても、将来マイナス10
のことをさせないための対策を講じることが、将来プラスに転じる近道かも
しれません。

私の実家の隣家に、その問題を放置して、目先のことを考えて過ごしてきた家庭が
あります。その家は、小学生時代に子供がいじめにあい、不登校となりました。

親がとった解決策。それは”隣町の小学校に転向”でした。

小さいころは良く一緒に遊んでいたので、その子供に話を聞いたことを今でも
覚えています。

お父さんとお母さんは仲が良いんだ。お父さんはお母さんに
”遊びに行きたい”といえばお小遣いが好きなだけもらえるんだよ。
お母さんってなんでも助けてくれるんだよ。便利なんだ。

という衝撃的なものでした。

だから、いじめにあったとき、きっと子供はお母さんに”あっちの学校に行きたい”
といって、お母さんは問題の本質を見極めないで転向させてしまったのでしょう。

子供は直接親から教育されなくても、夫婦の会話や行動を見ることが教育として
受け入れていくものです。自分は間違った教育をしていないつもりでも、夫婦の
行動がそのまま子供の当たり前として培われていくものです。
だから、子供の行動は親の行動、子は親の鏡とはよく言ったものです。

・・・

で、その子供の現在。

30歳を超えた今も両親にご飯を食べさせてもらっています。
住む場所を与えてもらっています。しかも”兄弟”で・・・。
親がいなくなったら、子供はどうやって生活していくんでしょうか。
この場合は、最終的にはそこが本当の問題なのではないでしょうか?

問題の本質はどこにあるか?それを見極めることができるタイミングと
いうのは、人生そう何度も訪れはしません。
しっかりそのタイミングを掴んで見極めていくことができるということが
生きていく力があるということの一つかもしれません。

なんだか自分に言い聞かせているような気がしてきました。

とにかく、自分にとっての本質を見極めて生きていきたいと思います。