私には時に自分を生きれない悲しさを感じて
現実に打ちひしがれる苦しい夜がある。
本当は人生こうしたいとか
本当は人生こうだったらとか
そんな気持ちに飲まれて涙が出る。
でもこの間、彼と会った時に彼の姿を見て
「彼こそ本当の自分を生きていない」と感じた。
むしろ
「この人は本当の自分を生きていないのに
それに気付いてさえいないんだ」とも感じた。
ある種、
急に憐れみのような気持ちになった。
彼って本当に
自分を優先するのが苦手だ。
乾燥してごつごつとした肌 伸びた白髪
常に吸っている煙草の匂い 身体の古傷
私はそれが愛おしくも、悔しくもなる。
彼が自分を後回しに生きてきた人生を
そこに見てしまうからだと思う。
彼の外見はかっこいいと思う。
持って生まれたものはきっと人よりも良い。
だけど近くにいると
彼が自分を大切にできていないのがよくわかる。
本当はきっともっと子供みたいな人だ。
やりたいことをのびのびやりたい人だ。
なのに育った環境や人間関係を経て
彼はあまりに社会性を優先する生き物になってしまった。
結果、いつも誰かのために
何かのために抑圧した人生を生きている。
それが積み重なって年齢を重ねた今、
如実に外見にも現れてきたのだろう。
本当に心配になる。
だけど同時に私に心配されるのが苦手なのもわかる。
そして、これはきっと彼が自分で自分を顧みて
彼が自分で自分の生き方を
矯正していくことだとも理解している。
私に言われたから正すとかではないのだ。
これが彼の生き方の癖。処世術。
だから私はこれからも過度な心配も
余計な説教もしないで横にいる。
ただあなたが幸せであればいいのにと
今日も願うことしかできない。
もう少し彼が自分を優先して生きれますように。
我慢は美徳ではなく、損失だと知れますように。
その頃私が隣にいたなら
それはきっと幸せなことだ。