相変わらず中国語と英語と格闘している。中国語も簡体字と繁体字を使っていて....。語学そのものと戦う前に、入力システムを日本語・英語・簡体字・繁体字と変更する煩わしさと戦っている。本当に面倒!とはいっても、今はネット上から入力システムをダウンロードすれば簡単に中国語をピンインで入力できるから文句は言えない。10年前は、中国語入力専用ソフトを購入していたからね。ちなみに、私はgoogle 中国語版から入力システムをダウンロードしている。ついでに、中国サイトにあるオンライン辞書(英語-中国語)はとっても優秀。日本サイトのオンライン辞書よりよく出来ていると私は感じている。

それで、今日は、ちょっと前の中国のお話の続きを。これから私が書くことは、私が広州在住時(2006年~08年)に私が体験したこと。13~15億の人々が暮らす広大な国のちっさなちっさな出来事・側面ということを念頭において読んで下さいね。

中国に関する前回の投稿で触れたように、中国の貧富の格差は私の想像を超えていた。実際に目で見て肌で雰囲気を感じ取ったからそのように感じたのかもしれない。また、地方からの出稼ぎ労働者と都心部で生まれ育った富裕層が入り混じる広州という大都市だったから余計に貧富の差を感じたとも思う。

そんな中国。医療はどうなのか。実態は定かではない。「.....の調子が悪いときは......を食べるといい」といった知識は地元の人誰もが持ち合わせていた。代々受け継がれてきた薬食同源の考え方を常に身近に感じた。医療費に充てるお金がない方が多数いることもあり、まずは代々の知恵で体調を整えることが一般的だと感じた。日本でも、近年、薬食同源・医食同源の考え方への関心が高まっているが、確かに、この考え方はちょっとした体調の崩れや慢性疾患には有効だと私も感じている。すぐに西洋医学の薬を服用するのではなく、身体の症状を総合的に考え、食事や生活の工夫・改善でまずは対処することが必要だなと思っている。

そして街中には中医薬(漢方薬)のお店。私の家の傍には、入院施設を備えた中医学(東洋医学)専門病院。「あそこの中国針の先生はいい...」といったことも耳にした。詳細や実態を知る機会はなかったが、中医学が人々の生活に根づいていることは確かだった。

西洋医学は戦争との関連が深く、戦場で負傷した戦士を早く回復させ戦場に戻すことを目的として発展を遂げてきた、といったことをどこかで読んだ(記述内容に自信なし。確認して下さいね)。この背景を考えると、西洋医学が得意とする疾患、東洋医学が得意とする疾患があることは明らかだ。

また話があちこちに飛んでいる....。中医学が人々の生活に根づいていると感じた中国だが、もちろん、西洋医学でしか対処できない負傷・疾患があった。広州にも西洋医学の大病院は沢山?それなりに?あった。でも、その医療費は多くの人々にとって高額だったようで....。「医療費を前払い?払える証拠がないと?手術をしてもらえない」「医療費が払えなくなって、入院中の子供を置き去りにした両親を探す病院」といった話はちょこちょこ見聞きし、広州に住んでしばらくすると、この種の話には驚かなくなった。繰り返しになるが、2006年~08年のお話です。

私が広州に住み始めたのは40歳過ぎ。30代半ばでの初めての点滴・入院・手術がシンガポールだったこともあり、広州に住んでしばらくした時、「この年齢だし、中国の医療レベルを知っておかないとマズいかも?」と思った。どの程度だったら広州でOKか、どの程度だったら香港の病院まで無理してでも行くべきか(香港までは急行で2時間程度)、どの程度だったらかなり無理してでも日本に帰国すべきか、といった基準を自分で決めたかった。それで、手の平にあったホクロ?(詳細は後ほど)を取るちょっとした形成手術を広州の大学病院で受けたのだが、いや~、この経験は短くはない海外生活中でも刺激的で.....。詳しくは次回に。

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