先日の記事でちょっこら触れたように、中国は広大な土地に様々な文化をもつ民族が住む国だ。しかもその人口は13~15億。日本人には想像できない部分がある。
私は「日本人は自然災害とともに暮らすことを遺伝子レベルで理解している」と感じているが、中国人も遺伝子レベルで理解している・身についているものがあると感じているし、広州在住時にはそれを実感する場面がそれなりにあった。日本人からすれば「なんで?」と思うことも、実際に中国に住んでみると、「あぁ....なるほどね.....」と納得できることが結構あった。好きか嫌いかは別として、肌で感じる雰囲気から納得できるものがあった。
知識として理解しているのと、体験から得る感覚は全く違う。想像を超えているものが結構あった。分かり易い例で言えば「貧富の差」。分かってはいたものの、実際にいろんな場面を目にして、「想像以上だ....」と感じた。
私が最初に住んだ広州のマンションの部屋のオーナーはお金持ち。富裕層だった。心に余裕があり気品があった。オーナーよりもオーナーの息子さんの方が英語が出来たので、息子さん(大学生)とよく話したが、金銭感覚には驚くことがあった。それなりに厳しく育てられ、母親の大家業も手伝わされていたが、何気ない会話から「お金には不自由していないんだな....」と感じた。私は日本であそこまでのお金持ちと直接話したことはない。
その一方、街では生ごみをひっくり返す人を頻繁に目にした。食べ物を探していたり、ゴミの分別をして売れるモノは売ったり....。「ゴミを分別して捨てると、ゴミを分別する人の仕事やゴミ分別で暮らしている人の収入源を奪うことになる」といったことを現地の人から言われたこともあった。
広州の私の家に日本からの海外引越荷物が着いた日は、我が家は注目の的だった。「日本の段ボールは質が高い!」と知れ渡っていたようで、私が階段の踊り場の所定位置に段ボールを置くと、数分後には段ボールはなかった。私が出した段ボールを提げて帰路に着くマンション警備員の姿も見た。日本の段ボール一箱で少なくとも1食分、上手くいけば一日の食費は売って稼げたと思う。この種の体験はキリがない。
私が中国・広州に住んでいたのは2006年~2008年。成長著しく、方向転換も早い中国。7年以上前のことはもう過去の話だと思う。また、広州は香港から特急で2時間程度の場所。北京からは遠く、雰囲気も全く違う。なので、ここで書いた内容も、言うまでもなく、中国のほんの1つの側面だ。しかも私の目を通しての中国だ。ただ、凄い数の人々が生き残りをかけて日々戦っていることは確かだと思う。
なんか取り留めもない話になってしまった...。ご容赦を!次こそ、広州で体験した医療の話を。
「まとまりがない文章だね。でもOKよ」
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私は「日本人は自然災害とともに暮らすことを遺伝子レベルで理解している」と感じているが、中国人も遺伝子レベルで理解している・身についているものがあると感じているし、広州在住時にはそれを実感する場面がそれなりにあった。日本人からすれば「なんで?」と思うことも、実際に中国に住んでみると、「あぁ....なるほどね.....」と納得できることが結構あった。好きか嫌いかは別として、肌で感じる雰囲気から納得できるものがあった。
知識として理解しているのと、体験から得る感覚は全く違う。想像を超えているものが結構あった。分かり易い例で言えば「貧富の差」。分かってはいたものの、実際にいろんな場面を目にして、「想像以上だ....」と感じた。
私が最初に住んだ広州のマンションの部屋のオーナーはお金持ち。富裕層だった。心に余裕があり気品があった。オーナーよりもオーナーの息子さんの方が英語が出来たので、息子さん(大学生)とよく話したが、金銭感覚には驚くことがあった。それなりに厳しく育てられ、母親の大家業も手伝わされていたが、何気ない会話から「お金には不自由していないんだな....」と感じた。私は日本であそこまでのお金持ちと直接話したことはない。
その一方、街では生ごみをひっくり返す人を頻繁に目にした。食べ物を探していたり、ゴミの分別をして売れるモノは売ったり....。「ゴミを分別して捨てると、ゴミを分別する人の仕事やゴミ分別で暮らしている人の収入源を奪うことになる」といったことを現地の人から言われたこともあった。
広州の私の家に日本からの海外引越荷物が着いた日は、我が家は注目の的だった。「日本の段ボールは質が高い!」と知れ渡っていたようで、私が階段の踊り場の所定位置に段ボールを置くと、数分後には段ボールはなかった。私が出した段ボールを提げて帰路に着くマンション警備員の姿も見た。日本の段ボール一箱で少なくとも1食分、上手くいけば一日の食費は売って稼げたと思う。この種の体験はキリがない。
私が中国・広州に住んでいたのは2006年~2008年。成長著しく、方向転換も早い中国。7年以上前のことはもう過去の話だと思う。また、広州は香港から特急で2時間程度の場所。北京からは遠く、雰囲気も全く違う。なので、ここで書いた内容も、言うまでもなく、中国のほんの1つの側面だ。しかも私の目を通しての中国だ。ただ、凄い数の人々が生き残りをかけて日々戦っていることは確かだと思う。
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