福岡は大荒れの大晦日。稲妻にミゾレ混じりの大雨、そして暴風。yahooの防災速報が頻繁に鳴る。
さて、私は、2012年12月に乳がん&一次再建手術を受けたので、昨年末は「一年経ったな.....」、今年の年末は「2年か.......」という気持ちになる。
昨年末は、10月半ばにインプラント手術を受け、シリコン乳房が落ち着いた頃だった。「乳がんは”術後治療なし”という恵まれた状況だったが、毎月数回よく通院したな....。再建でいろいろあったな....。やっとここまで来た」という気持ちだった。昨年2013年は再建が生活の中心部にあった。術後治療がなかったこともあり、春あたりには体力は戻ったが、5月に瘢痕拘縮形成手術、そして10月にインプラント手術があり、体力が戻ってはまたちょっと落ちる一年だった。
今年は1月中旬の脂肪注入で幕を開け、体力が回復した頃から福岡への転居でバタバタ。「体力は元に戻っているな。まだ無理もきくな」と安心したが、無理した後にちょっと体調を崩すことが増えた。以前のようにはいかなかった。手術による影響ではなく、アラフィフ・更年期の年齢という要因の方が大きいと思うが。そして11月に乳頭再建手術。「術後2年検診のついでに再建してきた!といった感覚だった。再建は終了していないものの、「再建は片手間にのんびりとやっています」といった感覚だ。
乳がんは.....。正直、ほとんど意識しなくなっている。ただ、健側にちょっとした異変を感じると「ひょっとして乳がんの兆候?」と思ってしまうことがある。さらに、身体にちょっとした異変があると、理論的には再発・転移がほぼないと言われている非浸潤癌全摘の私でも「再発?転移?」という文字が頭をよぎる。「検査は100%ではないので万が一はあり得る」という覚悟はある。
それで、やっとタイトルの「傷痕で振り返る2年」だ。
私の傷痕は、脇下からシリコン乳房中心部ちょっと上あたりを横断し、シリコン乳房内側まで続いている。2年前の乳がん&一次再建手術の時に出来たこの傷痕。後の瘢痕拘縮形成手術やインプラント手術はこの傷痕を再度開いている。ただ、全ての傷痕を開いている訳ではない。必要最小限だと理解している。
私の場合は、脇下からシリコン乳房外側のある部分までは、乳がん手術以降一度も開かれていない(多分)。その他の部分は瘢痕拘縮形成手術とインプラント手術で開かれ、傷口周辺の傷んだ(汚い)皮膚を切り取った後に縫合している。
それで、現在の傷痕だが、
★脇下部分(2年経過):殆ど分からない。センチネルリンパ節生検が目的と思われるので、術後に残された皮膚・皮下組織が比較的厚く、血流がいいので治りが良いと推測。
★脇下からシリコン乳房外側(2年経過):かなり薄いが、脇下の傷痕よりは目立つ。術後に残された皮膚・皮下組織が脇下よりは薄く、血流が脇下ほどよくないのが原因かな?と勝手に思っている。
★その他の傷痕(1年経過):薄くなってきているが、2年を経過している傷痕部分に比べると目立つように思う。傷痕そのものよりも、傷痕周りの皮膚の状態のようにも感じる。
★乳頭再建時に軟骨を取り出した部分(1ヶ月半経過):再度縫合した傷痕周辺の皮膚が茶色。時間の経過とともに薄くなってきているが目立つ。5㎜ほどだが。
先日、たまたま脇下の傷痕が殆ど分からなくなっていることに気づき、今年最後にこれを備忘録として書いてみた。
最後に、私のブログを読んで頂いている皆さま。ありがとうございます!私のブログが、何かのヒントや考えるきっかけなど、少しでもお役に立てていれば嬉しいです。また、皆さまのコメントから多くのことを学びました。ありがとうございます!
ブログを書くことにより、つまり文書にすることにより、情報や状況を整理し理解を深めることができていると感じているので、どこまで乳がん&再建をテーマに記事を書けるのかは疑問ですが、来年も引き続きマイペースで書き続けようかな?と今のところは思っています。なので、来年も宜しくお願いします。
皆さん、よいお年を!
「今年最後の投稿も長いな...。でもOKよ!」
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さて、私は、2012年12月に乳がん&一次再建手術を受けたので、昨年末は「一年経ったな.....」、今年の年末は「2年か.......」という気持ちになる。
昨年末は、10月半ばにインプラント手術を受け、シリコン乳房が落ち着いた頃だった。「乳がんは”術後治療なし”という恵まれた状況だったが、毎月数回よく通院したな....。再建でいろいろあったな....。やっとここまで来た」という気持ちだった。昨年2013年は再建が生活の中心部にあった。術後治療がなかったこともあり、春あたりには体力は戻ったが、5月に瘢痕拘縮形成手術、そして10月にインプラント手術があり、体力が戻ってはまたちょっと落ちる一年だった。
今年は1月中旬の脂肪注入で幕を開け、体力が回復した頃から福岡への転居でバタバタ。「体力は元に戻っているな。まだ無理もきくな」と安心したが、無理した後にちょっと体調を崩すことが増えた。以前のようにはいかなかった。手術による影響ではなく、アラフィフ・更年期の年齢という要因の方が大きいと思うが。そして11月に乳頭再建手術。「術後2年検診のついでに再建してきた!といった感覚だった。再建は終了していないものの、「再建は片手間にのんびりとやっています」といった感覚だ。
乳がんは.....。正直、ほとんど意識しなくなっている。ただ、健側にちょっとした異変を感じると「ひょっとして乳がんの兆候?」と思ってしまうことがある。さらに、身体にちょっとした異変があると、理論的には再発・転移がほぼないと言われている非浸潤癌全摘の私でも「再発?転移?」という文字が頭をよぎる。「検査は100%ではないので万が一はあり得る」という覚悟はある。
それで、やっとタイトルの「傷痕で振り返る2年」だ。
私の傷痕は、脇下からシリコン乳房中心部ちょっと上あたりを横断し、シリコン乳房内側まで続いている。2年前の乳がん&一次再建手術の時に出来たこの傷痕。後の瘢痕拘縮形成手術やインプラント手術はこの傷痕を再度開いている。ただ、全ての傷痕を開いている訳ではない。必要最小限だと理解している。
私の場合は、脇下からシリコン乳房外側のある部分までは、乳がん手術以降一度も開かれていない(多分)。その他の部分は瘢痕拘縮形成手術とインプラント手術で開かれ、傷口周辺の傷んだ(汚い)皮膚を切り取った後に縫合している。
それで、現在の傷痕だが、
★脇下部分(2年経過):殆ど分からない。センチネルリンパ節生検が目的と思われるので、術後に残された皮膚・皮下組織が比較的厚く、血流がいいので治りが良いと推測。
★脇下からシリコン乳房外側(2年経過):かなり薄いが、脇下の傷痕よりは目立つ。術後に残された皮膚・皮下組織が脇下よりは薄く、血流が脇下ほどよくないのが原因かな?と勝手に思っている。
★その他の傷痕(1年経過):薄くなってきているが、2年を経過している傷痕部分に比べると目立つように思う。傷痕そのものよりも、傷痕周りの皮膚の状態のようにも感じる。
★乳頭再建時に軟骨を取り出した部分(1ヶ月半経過):再度縫合した傷痕周辺の皮膚が茶色。時間の経過とともに薄くなってきているが目立つ。5㎜ほどだが。
先日、たまたま脇下の傷痕が殆ど分からなくなっていることに気づき、今年最後にこれを備忘録として書いてみた。
最後に、私のブログを読んで頂いている皆さま。ありがとうございます!私のブログが、何かのヒントや考えるきっかけなど、少しでもお役に立てていれば嬉しいです。また、皆さまのコメントから多くのことを学びました。ありがとうございます!
ブログを書くことにより、つまり文書にすることにより、情報や状況を整理し理解を深めることができていると感じているので、どこまで乳がん&再建をテーマに記事を書けるのかは疑問ですが、来年も引き続きマイペースで書き続けようかな?と今のところは思っています。なので、来年も宜しくお願いします。
皆さん、よいお年を!
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