昨日は私が被虐待児だった話を書きましたが、その後の母との関係も少しお話ししておこうと思います。
なんと母本人は、幼い私に殴る蹴るしたことなどまったく覚えておりません!
これにはもうびっくりですよ。
こちとら顔に傷まで残っとる言うねん。
あくまで母は、「女の子だからちょっと厳しく育てたの。ミャハ!」的感覚。
マジかい。
それどころか、父が兄にとても厳しくて兄が可哀想だったとか言い出す始末。
いやいやそんなシーンなかったし!
確かに父は弟を一番に可愛がっていたけど、私や兄にも普通に優しかったよ?
まぁ母がわめき散らしていても父は知らん顔してたので、子煩悩というのとはちょっと違うのですが。
母による身体的・精神的暴力は、私が中学生になって力も口も母に勝るようになった頃から徐々に下火になりました。
なんせ私デカかったですから。
ちょうどその頃、母が乳がんになったり父が単身赴任になったりして、母の気持ちが弱ってしまったのも関係していると思います。
実家は狭く、ずっと自分の部屋がなかったので、就職して二年目に私は一人暮らしを始めました。
兄は既に家を出ており、大学生だった弟も多忙でほぼ家に帰らない。
すると手のひらを返したように「やっぱり息子より娘やな」と言って私に擦り寄り始め、非常に気持ちが悪かったです。
私はまだまだ母の仕打ちを許してはいませんでしたから。
それでも実家にはしょっちゅう帰ってごはん食べてました。
過去のことと割り切れるようになったのは、私が結婚してからでしょうか。
結婚や出産に伴うあれこれも、母はきちんと親らしい手助けをしてくれましたしね。
そこは感謝しています。
もうひとつ、学校のことに関してだけは母は一切厳しいところがなかったんですね。
それも今思うと感謝しかありません。
私は勉強はできる方でしたが、そういつもいつも成績が良いわけでなく。
だけど100点取れだの1番になれだの言われたことは一度もありません。
逆に100点取ったからって褒められたこともないけれど、とにかく勉強に関してだけはのびのびした気分でいられました。
高校の実力テストでありえないくらいのヒドイ成績 (点数一桁
) を取った時も笑って済ませてくれたし、大学が嫌になって一切授業を受けなくなってそれが一年に及んでも、何も言わずに学費を払い続けてくれました。

ある日とうとう「もう大学やめようと思うねん」と話したら、「そうかぁ…せっかく入れたんやし頑張って卒業したらどうかなとお母さんは思うけど、お前の思うようにすればいいよ」と言ってくれました。
結局その言葉でお尻に火が付き、再び大学に通うようになり、半年留年はしたものの何とか卒業できました。
責められていたら潰れていたと思います。
優しいお母さんに育てられていたら私の人生違っていただろうなと今でも思いますが、どうしようもないことはもう考えないようにしないといけませんね。
もう先の人生の方が短くなっちゃったしね。