このブログでは何度か、母から受けた虐待のことを書いています。
幼少期に受けた虐待の記憶というものは、決して忘れられるものではなく、平和な日常の中に突然浮かびあがってきては、頭をかきむしりたくなるような苦しみに苛まれます。
拭っても拭っても拭いきれないこの感じ、何かに例えるとしたら、タンカーの座礁で海に漏れ出した重油ですかね。
漏れた重油に塗れて、もがき苦しむ海鳥いますよね。
まさにあれです。
苦しくてもがけばもがくほど、余計に汚れが付着し、深みにはまっていきます。
既に書いたことがあるものも含まれているかもしれませんが、母から受けた仕打ちの一部を、いくつか書き出してみます。
こうして書くことで、僅かでも昇華させられるのです。
①顔面血まみれ事件
5歳か6歳くらいの時。
台所で、母から執拗に怒鳴り散らされていました。
そしていつものように母のデカい手が私に向かってきたので咄嗟によけたら、母の思惑とは違う場所を殴られて、私は吹っ飛ばされ、台所のステンレスシンクの、ちょうど角の尖った部分に顔から突っ込み、切れて頬に血がダラダラ流れてきました。
切ったのは左目の眉尻あたり。
一歩間違えば眼球という場所でした。
もちろん痛い。痛いし恐怖です。
でも、泣けば「泣くなーーー!!」と余計に怒鳴られるので、切ったところを手で抑えてうずくまっていたら、頭上から母がこう怒鳴り散らしました。(結局怒鳴る)
「お母さんは謝らへんからな!! よけたお前が悪い!!」
手当はろくにしてもらえず、医者に行って縫うとか、そんなことも当然してもらえず、ケガはそのまま横一文字の傷として残りました。
仮にも女の子の顔ですよ。
鬼畜やん。
傷跡はずっとずっと残っていましたが、さすがに最近では、もうパッと見ではわかりづらくなっています。
②「家に帰りなさい」シリーズ
普通に家にいて、夕方になると母からこう言われます。
「はよ家帰りや」
ここはお前なんかの家じゃないから、早くどっか行け!という意味です。
いや間違いなく母の子供なんですが。
「お母さんが待ってるから帰りや」
「よその子に食べさせるご飯ないから、はよ帰りや」
「ごめんなぁ、ご飯はうちの子の分しかないねんわぁ」
など、いろんなバリエーションあり。
自分の家で、毎日のように実の母親からこんな言葉を真顔で浴びせかけられる小さな子供。
いったいどうしろというのでしょう。
どういうつもりで言っていたのでしょう。
人間のクズやん。
③とにかく気に入らない
私が小1・兄が小3、それくらいの頃だったでしょうか。
兄が母の日のプレゼントに、小ぶりでシンプルなペンケースを買ったのです。
なら私はその中に入れるものを買おうかなと思い、ボールペンと、ボールペンの字でも消せる砂消しゴムを買いました。
一生懸命考えて選んだんですよ。
母はよく新聞のクロスワードパズルなんかをやっていましたし、手紙やハガキもよく書いていましたから。
その買い物の帰りに、ひとり駄菓子屋に寄って30円のソーダアイスを食べているところを、偶然通りかかった母に目撃されていました。
夜になり、兄に続いて私も母にプレゼントを渡しました。
すると、兄からのペンケースには母大喜び。
「センスがいい」だの、「お母さんの好みわかってる」だの、大絶賛です。
しかし私からのプレゼントには「なんやこんなもん!いらんわ」と、こうですよ。
なぜボールペンと砂消しゴムのセットにしたのか、ちゃんと説明もしたのに。
しかも、「お母さんにはこんなしょうもないもん買って、自分はアイス食べてたんやでこの子は!」と、その後何年にもわたってネタにされ、笑われ続けました。
最低。
とにかく母は私のことが大嫌いだったようです。
「大嫌い」
「どっか行って」
「もう帰ってくるな」
「死ね」
これらの言葉を毎日毎日言われていました。
蹴られ、殴られ、つねられ、腕を捻りあげられるという暴力も日常的にありました。
兄弟間の差別も激しく、兄や弟は大切に大切に可愛がられる一方で、私はクソミソに言われ、奴隷のように扱われていましたね。
許そうって何度も思ってきたけど、やっぱり無理です。
そう。
親からの虐待による本当の苦しみは、そこにあります。
親だから許さなきゃいけないの?
いつまでも恨んでいる自分が悪いの?
犯罪まがいのことなのに誰の裁きも受けないの?
何をされても親だから嫌いになれない、突き放せない、という人もいるのは知っています。
でも私は違います。
小さい頃から、母のことは恐怖の対象でしかなく、好きだと思ったことは一度もありません。
大人になって自分も親になってからは、軽蔑の対象です。
よくもまぁ可愛い我が子にそんなことが言えたよね、できたよね。
信じられない。
愛されて育った人には絶対に理解できない世界です。
私は亡父のことは大好きですが、特別可愛がられていたわけではありません。
普通でした。
母にだって、特別なことをしてほしかったわけではなく、普通でよかったんです。
普通の母親が欲しかった。