佐藤醇吉とは
物心のつく前から、夏と冬の休みには母の実家に連れていかれ、そこで過ごすのが当たり前になっていた。もう50年以上も前の話になるが、泊まる部屋の長押に猊鼻渓と雉の2枚の油絵が飾ってあった。田舎の家には不釣り合いの感があり、ずっと不思議に思っていた。
震災後、母が実家近くで生活するようになり改めて、その絵に興味を持ったのだが、すでにその絵はどこかに散逸していた。だが、叔母が「平泉の金色堂に醇吉つぁんの描いた絵があるから見たい」というので、半信半疑で出かけたことがある。80歳を超えた叔母は、旧鞘堂まで歩く体力がなく、結局は私一人で見てきたが、旧鞘堂の壁面に醇吉の絵が奉納してあった。
終戦前後、醇吉は母の実家に身を寄せ、そこで絵を描いてたらしい。

有栖川宮記念公園

 

醇吉について、一関市文化財保護課では、次のように書いている。

沖田の佐藤忠五郎の長男として生まれた醇吉は、幼いときから絵が好きで絵ばかり描いていました。その後、岩手師範学校から上野美術学校に入学し、洋画界の先駆者浅井忠や洋画の大家松岡寿に師事し、純写実主義の作風を創りあげていきました。有栖川宮記念公園内の国史絵画館にある「平城京」は傑作と称されています。
いつかはと思いつつ、果たせなかったのだが、娘と孫を送っていくのに併せて、足を運んでみた。しかし、記念公園内には国史絵画館はなく、案内所でも公園内にある図書館でも全く不明であった。ネット情報を鵜呑みにした結果である。もっと多くの情報に当たって取捨選択しないと、と大いに反省している。なお、母の実家には彼が板に描いた南天の絵は残されている。

公園内 
 

英語力の向上は環境による?
半日を無駄にしたが、広尾駅で下車して公園までの道すがら、4人に1人が外国人のようなところで、悔しいが国際語としての英語の必要性を感じてしまった。田舎にも、外国の人がこの位いれば、英語力、黙っていても上がる。指導者とか教材とか、そんな問題ではない、と外国人、特に英語を話す外人をALT以外知らない私は思うのである。ちなみに、以前勤務した女川町では、米国人1名、中国人200名であった。

モカの極楽顔


ペットホテルで一晩過ごしたモカは
、ようやくホッとしたらしく・・・