開学の念願と理想
激動の時代に
科学技術の急速な開発による機械工学の産業と経済の発展が現代の特色です。
生命と物質の科学は、クローン生物の実現を可能にしています。
しかし科学技術の物質文明がもたらした、地球の自然破壊、森林の大規模伐採、数多の動植物の種の絶滅、動物の虐待。環境汚染、地球温暖化。貧富の差の拡大。階級と人種民族の差別。宗教争闘。核兵器をはじめ、人間の科学技術がつくった心のない物質の悪使用によって、人類のみならず地球の全ての生物が滅亡の脅威と危機に直面している今日です。
同時に地位と物と金の欲望にまつわる不正、卑怯な権力、暴力、殺傷、おどし、ゆすり、だましが横行しています、人心荒廃し殺伐とした現代社会です。
如何に生き、何をなすべきか。
争うな。
殺してはならず、
殺させてはならない。
権力と暴力を認めない。
戦争に反対する。
自己の低劣な現世欲、名利栄達欲、物欲、金欲、闘争心、殺害心、粗暴性、獣性、淫蕩性。これらの邪欲、悪業を捨て去り超越する。永遠の真理と、その義と道に生きる。
組織集団や個人の権力と暴力、邪悪と不正を容認せず、毅然として、己の身命をなげうって対峙する。死ね、そして成れ。これが本当の人間と芸術家たる者の日々の決意です。
真理は一つ。芸術と科学と宗教の探求の究極の目的は一つ。
科学(数学、天文学、物理学、化学…)は人間の外部の客観的自然(真実)の探究です。芸術と宗教は人間の外部の客観的自然と、内部の主観的自然の両面の一体性の探究です。
科学者と芸術家と宗教家が共に、自然の真理、真実、美を探究する最も大切な感情は、自然の存在の生命に直面した時の感動と驚嘆と畏敬です。
人類の大天才が創造した芸術と宗教の作品との出会いは、感動と驚嘆と畏敬です。
人類の偉人、天才の精神の特質は愛、慈悲です。
人間の外部の自然も、人間の内部の自然も、内部と外部の一体の自然も、科学の探究も、芸術と宗教の探究も、真理(真実)は一つであり、天地に二つはない。二つあればいずれも真理ではない。それゆえに、あらゆる対立と争闘を超えた、非暴力、非権力の、絶対平和と平等の思想であらねばならない。
科学と芸術と宗教の究極の目的と理想は一つであるべきです。
今日、科学と芸術と宗教の調和が肝要であります。
科学と宗教と芸術の綜合的研究が待たれています。
現代は芸術家や宗教家や科学者が自然の真実と美を探究する純粋で真摯な魂を喪失しています。
科学から生まれた技術がつくり出す物質文明の便利安楽に同化順応し、自然を探究する質素で謙虚な生活態度を忘失しています。
地球、愛、自然との共生。直接性の回復。
太古において、人間の芸術的な創造は、全ての生命の父母である自然から生まれました。現代は科学技術を万能と過信しがちな物質文明の時代です。しかし今後いかに科学技術が進歩しようとも、人間が自然、宇宙を創ったのではないのだから、人間が自然を完全に支配することなど永久に出来ない。所詮人間は自然・宇宙から生じた生物の中の一つであり、自然・宇宙の中の微少な存在です。然るに父母なる自然に背き、自然を破壊する人類の愚行はとどまることを知りません。人間がつくった科学技術の悪利用によって地球の全ての生命が滅亡の危機に直面している今日、自然の命を尊び慈しみ愛する心こそ何よりも大切なものです。
科学で自然を支配し征服するという人間中心の傲慢な生命破壊と闘争の思想ではなく、自然の諸存在の生命を平等に価値あるものと見て、畏敬し愛することが、現代において最も大切なことです。
この心をもって芸術家は自然の研究に全生涯を捧げなければなりません。
人間のわずかな才能を驕り、霊感や神来に頼ってはなりません。芸術家の資格は誠実と努力、意志と忍耐です。
絵画や彫刻などは視覚と触覚によるものであり、音楽は聴覚によるものであり、文学は抽象的な文字によるものです。偉大な芸術作品は頭脳、眼、耳、手などの人体の各部分ではなく、全身全霊をもって創作されたものです。尊厳な永遠な自然に全力をもって立ち向かい、自然を傍観せず凝視し、自然の生命と芸術家の人間の生命が合体したものです。
工業化し機械化しヴァーチャル化していく現代、自然への絶対の信仰をもって、自然に帰依し、自然に直接に対峙し、強い意志と忍耐力をもって自然を研究し、感動と新鮮な感覚がある生きた作品を創造することが肝要です。
傾倒と讃嘆。伝統と創造。
「偉大な人間に傾倒した者ばかりが、文化の最初の清祓を受けるのだ」
ニーチェ
「頭を下げよフイディアスの前に、そしてミケランジェロの前に。讃嘆せよ、前者の神々しい静けさを、後者の激越なる苦悩を。讃嘆は高貴な人間が酔うにふさわしい芳醇の美酒である」
ロダン
現代は、大自然と、太古から近代までに人類が創造してきた、偉大な芸術作品とその作者である人間への、尊敬と愛を喪失した時代です。
自然と巨匠、天才から啓示を受け、彼等から学び、自己の人間形成、人格形成(思想、哲学、人生観、世界観)に努め励むことを、しなくなった時代です。
現代は、巨匠、天才に全身的に傾倒せず、それゆえに彼等を継ぐ巨匠、天才が出ない時代です。
自分が芸術をつくるのではない。歴史上の諸々の芸術の傑作に出会い、傾倒し、研究し、時には対決して、一生涯かけて仕事をして、自分の芸術をつくるのです。このことは、歴史上の偉大な芸術家達に共通する宗教的精神態度です。
彼等先人達を模範として我々は、殊更新しいものをつくろうとか、世間に目立つことをしようとか考えたことは全くない。自然と歴史上の巨匠、天才達の作品から学ぶこと。この人間としてあたり前のことをしようと努め励んできました。非凡なことをしたと思ったことは全くない。現代はこのあたり前のことを失っています。
現代芸術は、芸術の神々を喪失し無思想・無理想・無信仰の廃墟のようです。
巨匠、天才とは、真実と愛をもって、自然を深く探究した人達です。
日々早朝から日没まで、屋外で制作に勤勉努力する芸術家にとって、自然は新鮮な尽きることのない生命であり、力であり、神であります。
自然を研究し創作することが信仰であり、道徳であります。他所にはありません。
自然・実在・生命がなければ、太古からの人間の健全な芸術創造の行為は存在しないのですが、現代は自然・実在・生命(生きた神)との直接の交流という根本と源泉を喪失した芸術文化の不毛の時代です。
こんな時代に、敬虔な心で、再び自然と、伝統、古典、巨匠から学び、生命のある芸術文化を復活させよう。
何をするか。何を描くか。
自然へ帰る。
自然と共生。共生は人間中心ではなく、自然中心に人間が自然に
生かされているという謙遜な心。感謝の心。
屋外の風景の現場で制作します。
自然と共に在り、自然になり切ります。
自然を描く。
機械化、ヴァーチャル化がすすみ、生命をむしばむ物質科学技術偏
重の時代に、現実の自然の実在の生命との直接の感動と感覚の回復。
手づくり、物づくりの復活。
各人が自分しか描けない個性のある作品を、又、時流に迎合した
皮相なものや、マスプロダクションの安物より、ユニークな上質の作品をつくります。
自然の生命の中に精神あり。感覚あり。
人間の色彩感覚は最新のデジタルカメラでも全く表せない。
人間の形態感覚はヴァーチャルナ映像では全く表現できない。
地球の大地、山河、海、樹、草花、人間、獣、鳥、虫、魚…
都市と村落、建造物、道具…を描く。
風景。 京都を描く。
古来からの精神伝統が現在も生きつづけている世界でも
稀有な歴史的風土を描く。京都の四季を描く。
京都の周辺を描く。
桂川と鴨川の上流。南丹。由良川。琵琶湖。瀬田川、
宇治川。木津川。愛宕山、北山、西山、東山、比叡山、
醍醐や宇治の山…。
人物。 現代の人を描く。子供から老人まで。
着衣、肖像、裸体を描く。(古代ギリシャ以来の西洋美術
の根本は人体)
静物。 人間がつくった物――陶器、ガラス、金属や布類や造花等
――と自然の果物や花等との調和。
風景、人物、静物を、三分せず、同じく自然とともに
故郷へ帰る。
健全な時代と人生とは。
過去=現在=未来が連なっており、永遠なるものへの、なつかしさと奥ゆかしさと、愛情のある豊かで幸な時代であり人生です。それは自然宇宙観、生命觀、思想、体系に基づく、創造性、構築性のある文化であり生活です。これを古典的と言う。現代人の不幸は、心の古典の地、故郷を失ったことにあります。
各人の幼少年時代は過去です。
人類の精神伝統、文化遺産は過去です。
創造力、イマジネーション(想像力)とは、現在に過去を蘇らせる人間の能力です。
決して懐古趣味ではない。
温故知新
古きをたずねて新しきを知る。
古いものの中に本当の新しさを見出すことが大切です。
心の故郷に帰ることが、人間の何ものにも勝る幸せです。
そこに安心と救いがあります。
自然、神佛、師、父母、友人の恩恵を感じとり恩返しをする心が大切です。
エジプト、ギリシャ、中東、インド、中国、アジア各国など地球の人類の
文明の故郷を訪ねます。
永遠の生命の源へ帰る
自然は人間がつくったものにあらず。人間は人間がつくったものにあら
ず。自分であって自分のものでない。大自然の生命の源から生まれ、生か
されて在るものです。そうして生命の源へと、自然に還って往くものです。
死は死ではない、自然なるものです。
自然の大地に立つ。
歴史的風土から精神文化伝統を学ぶ。
自己を見つめる。
生活の現実を見つめる。
師匠、祖先、父母から受け継いだ、偽りのない信仰心をもって、
静かな永遠的な愛をもって生きる。
あわただしい日々の生活の現実の中で、心が荒れて、刹那の激情、
感情にのぼせることなく、自分を見失わず、ゆとりをもって自分を
取り戻す。自然な法則にかなった知性的で冷静で平和な道を歩む。
芸術は自然と共にある「調和」であることを、人生と芸術の中に
実践する。日々新たに、生き生きと。
自然(人、花、樹…)の生命を心に感じ取る、感動する。
感覚や感動は絵を描く源。
愛と創造の本能(本性、天性)。
美に生きる生活。
美は愛が物に与える形です。
地球。人類の故郷。
各人の故郷の風景。
故郷の人々(父母、兄弟姉妹、友人…)。
人体、肖像、自画像。
歴史的風土、文化遺産(神木、鎮守の森、社寺)を描く。
激動の時代に
科学技術の急速な開発による機械工学の産業と経済の発展が現代の特色です。
生命と物質の科学は、クローン生物の実現を可能にしています。
しかし科学技術の物質文明がもたらした、地球の自然破壊、森林の大規模伐採、数多の動植物の種の絶滅、動物の虐待。環境汚染、地球温暖化。貧富の差の拡大。階級と人種民族の差別。宗教争闘。核兵器をはじめ、人間の科学技術がつくった心のない物質の悪使用によって、人類のみならず地球の全ての生物が滅亡の脅威と危機に直面している今日です。
同時に地位と物と金の欲望にまつわる不正、卑怯な権力、暴力、殺傷、おどし、ゆすり、だましが横行しています、人心荒廃し殺伐とした現代社会です。
如何に生き、何をなすべきか。
争うな。
殺してはならず、
殺させてはならない。
権力と暴力を認めない。
戦争に反対する。
自己の低劣な現世欲、名利栄達欲、物欲、金欲、闘争心、殺害心、粗暴性、獣性、淫蕩性。これらの邪欲、悪業を捨て去り超越する。永遠の真理と、その義と道に生きる。
組織集団や個人の権力と暴力、邪悪と不正を容認せず、毅然として、己の身命をなげうって対峙する。死ね、そして成れ。これが本当の人間と芸術家たる者の日々の決意です。
真理は一つ。芸術と科学と宗教の探求の究極の目的は一つ。
科学(数学、天文学、物理学、化学…)は人間の外部の客観的自然(真実)の探究です。芸術と宗教は人間の外部の客観的自然と、内部の主観的自然の両面の一体性の探究です。
科学者と芸術家と宗教家が共に、自然の真理、真実、美を探究する最も大切な感情は、自然の存在の生命に直面した時の感動と驚嘆と畏敬です。
人類の大天才が創造した芸術と宗教の作品との出会いは、感動と驚嘆と畏敬です。
人類の偉人、天才の精神の特質は愛、慈悲です。
人間の外部の自然も、人間の内部の自然も、内部と外部の一体の自然も、科学の探究も、芸術と宗教の探究も、真理(真実)は一つであり、天地に二つはない。二つあればいずれも真理ではない。それゆえに、あらゆる対立と争闘を超えた、非暴力、非権力の、絶対平和と平等の思想であらねばならない。
科学と芸術と宗教の究極の目的と理想は一つであるべきです。
今日、科学と芸術と宗教の調和が肝要であります。
科学と宗教と芸術の綜合的研究が待たれています。
現代は芸術家や宗教家や科学者が自然の真実と美を探究する純粋で真摯な魂を喪失しています。
科学から生まれた技術がつくり出す物質文明の便利安楽に同化順応し、自然を探究する質素で謙虚な生活態度を忘失しています。
地球、愛、自然との共生。直接性の回復。
太古において、人間の芸術的な創造は、全ての生命の父母である自然から生まれました。現代は科学技術を万能と過信しがちな物質文明の時代です。しかし今後いかに科学技術が進歩しようとも、人間が自然、宇宙を創ったのではないのだから、人間が自然を完全に支配することなど永久に出来ない。所詮人間は自然・宇宙から生じた生物の中の一つであり、自然・宇宙の中の微少な存在です。然るに父母なる自然に背き、自然を破壊する人類の愚行はとどまることを知りません。人間がつくった科学技術の悪利用によって地球の全ての生命が滅亡の危機に直面している今日、自然の命を尊び慈しみ愛する心こそ何よりも大切なものです。
科学で自然を支配し征服するという人間中心の傲慢な生命破壊と闘争の思想ではなく、自然の諸存在の生命を平等に価値あるものと見て、畏敬し愛することが、現代において最も大切なことです。
この心をもって芸術家は自然の研究に全生涯を捧げなければなりません。
人間のわずかな才能を驕り、霊感や神来に頼ってはなりません。芸術家の資格は誠実と努力、意志と忍耐です。
絵画や彫刻などは視覚と触覚によるものであり、音楽は聴覚によるものであり、文学は抽象的な文字によるものです。偉大な芸術作品は頭脳、眼、耳、手などの人体の各部分ではなく、全身全霊をもって創作されたものです。尊厳な永遠な自然に全力をもって立ち向かい、自然を傍観せず凝視し、自然の生命と芸術家の人間の生命が合体したものです。
工業化し機械化しヴァーチャル化していく現代、自然への絶対の信仰をもって、自然に帰依し、自然に直接に対峙し、強い意志と忍耐力をもって自然を研究し、感動と新鮮な感覚がある生きた作品を創造することが肝要です。
傾倒と讃嘆。伝統と創造。
「偉大な人間に傾倒した者ばかりが、文化の最初の清祓を受けるのだ」
ニーチェ
「頭を下げよフイディアスの前に、そしてミケランジェロの前に。讃嘆せよ、前者の神々しい静けさを、後者の激越なる苦悩を。讃嘆は高貴な人間が酔うにふさわしい芳醇の美酒である」
ロダン
現代は、大自然と、太古から近代までに人類が創造してきた、偉大な芸術作品とその作者である人間への、尊敬と愛を喪失した時代です。
自然と巨匠、天才から啓示を受け、彼等から学び、自己の人間形成、人格形成(思想、哲学、人生観、世界観)に努め励むことを、しなくなった時代です。
現代は、巨匠、天才に全身的に傾倒せず、それゆえに彼等を継ぐ巨匠、天才が出ない時代です。
自分が芸術をつくるのではない。歴史上の諸々の芸術の傑作に出会い、傾倒し、研究し、時には対決して、一生涯かけて仕事をして、自分の芸術をつくるのです。このことは、歴史上の偉大な芸術家達に共通する宗教的精神態度です。
彼等先人達を模範として我々は、殊更新しいものをつくろうとか、世間に目立つことをしようとか考えたことは全くない。自然と歴史上の巨匠、天才達の作品から学ぶこと。この人間としてあたり前のことをしようと努め励んできました。非凡なことをしたと思ったことは全くない。現代はこのあたり前のことを失っています。
現代芸術は、芸術の神々を喪失し無思想・無理想・無信仰の廃墟のようです。
巨匠、天才とは、真実と愛をもって、自然を深く探究した人達です。
日々早朝から日没まで、屋外で制作に勤勉努力する芸術家にとって、自然は新鮮な尽きることのない生命であり、力であり、神であります。
自然を研究し創作することが信仰であり、道徳であります。他所にはありません。
自然・実在・生命がなければ、太古からの人間の健全な芸術創造の行為は存在しないのですが、現代は自然・実在・生命(生きた神)との直接の交流という根本と源泉を喪失した芸術文化の不毛の時代です。
こんな時代に、敬虔な心で、再び自然と、伝統、古典、巨匠から学び、生命のある芸術文化を復活させよう。
何をするか。何を描くか。
自然へ帰る。
自然と共生。共生は人間中心ではなく、自然中心に人間が自然に
生かされているという謙遜な心。感謝の心。
屋外の風景の現場で制作します。
自然と共に在り、自然になり切ります。
自然を描く。
機械化、ヴァーチャル化がすすみ、生命をむしばむ物質科学技術偏
重の時代に、現実の自然の実在の生命との直接の感動と感覚の回復。
手づくり、物づくりの復活。
各人が自分しか描けない個性のある作品を、又、時流に迎合した
皮相なものや、マスプロダクションの安物より、ユニークな上質の作品をつくります。
自然の生命の中に精神あり。感覚あり。
人間の色彩感覚は最新のデジタルカメラでも全く表せない。
人間の形態感覚はヴァーチャルナ映像では全く表現できない。
地球の大地、山河、海、樹、草花、人間、獣、鳥、虫、魚…
都市と村落、建造物、道具…を描く。
風景。 京都を描く。
古来からの精神伝統が現在も生きつづけている世界でも
稀有な歴史的風土を描く。京都の四季を描く。
京都の周辺を描く。
桂川と鴨川の上流。南丹。由良川。琵琶湖。瀬田川、
宇治川。木津川。愛宕山、北山、西山、東山、比叡山、
醍醐や宇治の山…。
人物。 現代の人を描く。子供から老人まで。
着衣、肖像、裸体を描く。(古代ギリシャ以来の西洋美術
の根本は人体)
静物。 人間がつくった物――陶器、ガラス、金属や布類や造花等
――と自然の果物や花等との調和。
風景、人物、静物を、三分せず、同じく自然とともに
在るものとして制作します。
故郷へ帰る。
健全な時代と人生とは。
過去=現在=未来が連なっており、永遠なるものへの、なつかしさと奥ゆかしさと、愛情のある豊かで幸な時代であり人生です。それは自然宇宙観、生命觀、思想、体系に基づく、創造性、構築性のある文化であり生活です。これを古典的と言う。現代人の不幸は、心の古典の地、故郷を失ったことにあります。
各人の幼少年時代は過去です。
人類の精神伝統、文化遺産は過去です。
創造力、イマジネーション(想像力)とは、現在に過去を蘇らせる人間の能力です。
決して懐古趣味ではない。
温故知新
古きをたずねて新しきを知る。
古いものの中に本当の新しさを見出すことが大切です。
心の故郷に帰ることが、人間の何ものにも勝る幸せです。
そこに安心と救いがあります。
自然、神佛、師、父母、友人の恩恵を感じとり恩返しをする心が大切です。
エジプト、ギリシャ、中東、インド、中国、アジア各国など地球の人類の
文明の故郷を訪ねます。
永遠の生命の源へ帰る
自然は人間がつくったものにあらず。人間は人間がつくったものにあら
ず。自分であって自分のものでない。大自然の生命の源から生まれ、生か
されて在るものです。そうして生命の源へと、自然に還って往くものです。
死は死ではない、自然なるものです。
自然の大地に立つ。
歴史的風土から精神文化伝統を学ぶ。
自己を見つめる。
生活の現実を見つめる。
師匠、祖先、父母から受け継いだ、偽りのない信仰心をもって、
静かな永遠的な愛をもって生きる。
あわただしい日々の生活の現実の中で、心が荒れて、刹那の激情、
感情にのぼせることなく、自分を見失わず、ゆとりをもって自分を
取り戻す。自然な法則にかなった知性的で冷静で平和な道を歩む。
芸術は自然と共にある「調和」であることを、人生と芸術の中に
実践する。日々新たに、生き生きと。
自然(人、花、樹…)の生命を心に感じ取る、感動する。
感覚や感動は絵を描く源。
愛と創造の本能(本性、天性)。
美に生きる生活。
美は愛が物に与える形です。
地球。人類の故郷。
各人の故郷の風景。
故郷の人々(父母、兄弟姉妹、友人…)。
人体、肖像、自画像。
歴史的風土、文化遺産(神木、鎮守の森、社寺)を描く。










