前回のブログからかなり日にちがたってしまいました。

 

 

私は無事今年3/25に某国公立大学を卒業し、春から某製薬会社で働いています。

 

後遺障害を負いながらも、コロナの状況で、最低限ついていっているつもりです。

 

 

 

さてこのブログのメインは後遺障害についてなのでそれについて話します。

 

後遺障害を負ってから1年1ヶ月。

私は脊髄や頸椎を損傷しなかったおかげで、外見は普通の健常者のようだし、会社でも働けています。

それに対して本当に感謝しているし、この後遺障害如きで悩んで、贅沢だと思う人もいるかもしれない。

それを承知しています。

 

まず複視。

私は左脳をの脳神経12個のうち、眼球運動にかかわる4番目と6番目の麻痺を起こしました。

そのせいで、見るものが全て上下斜めに二つみえて複視となりました。

 

私は中学から数えて約11年間、スポーツがずっと隣にありました。大好きでした。

そのせいで私はスポーツができない体になって、当時はすごく辛かったです。

 

私の個人的な事情はさておき、入院中にうけた診断は

 

「半年後、様子をみましょう」

 

でした。

 

私がインターネットなどで調べた情報には

 

「半年間で治らなかったら症状固定、または場合によっては手術を考える」

 

でした。

 

なので納得いきました。

しかし、複視の手術は大変難しく、手術をしたからって完璧に物が一つに見えるのはないようです。

 

 

半年後、私の複視は治りませんでした。

しかし、事故直後と比べて私の左側は物が一つに見え始めました。

 

退院後、大学近くの病院に変え、大学に通いながらリハビリと複視外来に通っていました。

 

そこの複視外来で受けた診断は

 

「治るかわからない、でも確実に良くなっている」

 

でした。

 

正直驚きました。治るかもしれないという希望。

「私は24歳で、年齢が若いから、脳が物を一つに見るということを覚えていく、適応能力がある」。

と言われました。

 

脳神経の論文をいくつか見たけど、

「脳神経は一度損傷したら、元には戻らない。機能を補填するように新たな回路ができる」

という論文があって、

まだわからないことが多いらしいけど、その論文を信じてみたい。

 

 

複視になってから1年1ヶ月、まだ複視は治らないけど、前より確実によくなっていると実感している。

プリズムメガネを使用せず、コンタクトだけで多少疲れるが、生活することが出来るようになった。

 

 

こうやって普通の人のようにふるまって、生活できるところまで私は回復できた。

ありがたい反面、何よりもつらいのは

障害が外見にでないからこそ、その障害は自分にしかわからない。

周りに打ち明けたところで、なってみないとわからないし、周りが自分は普通に見える分気を使ってもらえない。

周りに打ち明けたことで、何かを期待してしまうが、絶対期待はずれ。だから私は周りに期待しないことを学んだ。

 

 

複視にならなきゃよかったとは思う。

でも複視にならなきゃわからないことがたくさんある。

複視になったからこそ、目の不自由な人、ご老人、目の大切さがわかった。

 

当たり前に動けること、人込みを避けて通れること、スポーツができること、

それが本当に幸せなんだと感じた。

 

 

今、突然複視になって困っている人。

絶望している人。

焦点が合わないから毎日が気持ち悪い。目が回っているような感じ。

すごくわかる。

でも半年後で限界を決めちゃいけない。

 

私もまだ治っていない、でもいつか治ると信じて生きる。

 

早く脳に物が一つに見えることを覚えさせたい。

 

私は複視で困っている人の話を聞きたい。

なにか力になれればと本気で思う。

 

事故をして、こうして生き伸びたのは

複視や障害で困っている人の力になるためだと言い聞かせている。

 

複視で悩む人がこれをみていたら、諦めないでほしい。本当に本当に辛いけど、生きてほしい。