私の父(昭和12年生まれ)は、
今立に住んでおり、
太平洋戦争の被害はなく、
米軍の飛行機が飛んでいくのを、
見たことがあるだけでした。
1945年7月19日の福井空襲の様子を、
直接見てはいませんが、
福井市方面の空が真っ赤だったと
話していました。
母(昭和12年生まれ今立)は、
当時彦根市に住んでいて、彦根市での
空襲から逃げた経験があるそうです。
そして、ある時の空襲で防空壕に逃げた時、
防空壕のすぐ近くに弾が落ちて、
乳児だった母の妹は、その衝撃に驚き
異常に泣いて、
その後軽い知恵遅れになったのですが、
その衝撃が原因だと、
母は考えているようです。
防空壕は母の家の前にありましたが、
山のほうへ逃げた事もあるそうです。
福井県の今立にいた父と、
滋賀県の彦根市にいた母では、
それぞれの戦争体験が違うので、
興味を持った私はいろいろよく聞きましたが、
二人はきちんとと答えてくれました。
(女性 昭和40年生まれ 今立/京都市)
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アンケートの結果をまとめた、
フライヤー1号をこの友人に送ったら、
福井市の空襲の被害は、
想像していたよりずっと大きく、
驚いたそうです。
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世界がぜんたい幸福に
ならないうちは
個人の幸福はあり得ない
by宮沢賢治
医療従事者の方々に、
心よりの感謝を捧げます。