今、大学でロールズの正義論を読み議論するという授業を取っています。
ロールズは自由や権利が各人に原則的に平等に与えられる事。また、社会的経済的不平等が許される場合を限定的に捉え「平等」という観点からの正義の定義付けを行いました。
前回の授業の最後で先生が私達受講生にこんな質問を投げかけました。
「才能や能力の不平等をどう考えるか」
「例えば才能に恵まれ成功した代表例と言っていいイチローの6億5千万の年俸から5億円を国が税金として持って行って良いと考えるか」
つまり才能や能力の不平等によって生じた経済的な成功の差を、国が福祉国家の観点から平等を実現するために(所得の再分配のようなもの)本人の意思に関わりなく収入からその大部分を税として徴収して良いのか、という問題です。
多くの受講生や先生も、才能や能力の不平等による経済的な成功の差(幸福度などは考えず単に所得の差としての成功)は本人の努力によりもたらされたものであるのだから本人の意思に関わらず国が徴収する事はよくないとする立場に立ちました。
しかし、私は
才能や能力はただそれを持っているだけでは経済的成功に結びつかないのであって、それは本人の育った環境、社会的要素や人との巡り合わせ、など様々な要素により実現されるものであるから、自分が大きな経済的成功を得る事が出来るようになるまでに育ててくれた社会に一定程度還元すべきだ。
とする立場に立ちました。
法律的な観点になりますが、もちろん国家権力の恣意的な権力の行使を防ぐためにも当人に予測可能性を与えるためにも法律により所得ごとの税率は予め定めておくべきです。
そうでなければ国家権力が恣意的に、同じ年収の者でも
Aは1000万円でいいけどBは一億税金でとるね、なんてしてしまったらそれこそ平等原則違反かつ平等権の侵害、更には経済的自由権の非合理的な制約となり人権侵害となってしまいますからね。
私のとった立場の具体的な説明は次回のブログで書きたいと思います。
ただ、この議論をしてみて育ってきた環境で人の考え方や価値観は本当に異なるんだなと言うことを改めて痛感しました。それぞれの人が正義と考える事も全く違う。
国の福祉政策に携わる機会や、国として国民に義務を課す法律や国民に手続きや行動を義務付けるような制度を制定する時にはこういった事を踏まえて、国民それぞれの正義や考え方[思想、良心の自由(19条)]に行動や手続の強制に伴う間接的な思想や良心の侵害にならないような制度設計を考えたいなと思いました。
やはり政策は必要最小限度の枠組みでつくられるべきかな。個別な事情は置いといて、一般論として。
2014/10/10
