
この写真は先週末のもの。ご近所のお寺のしだれざくら。
今日もずいぶん暖かくて、朝見た桜とのと夕方見た桜とでは、ずいぶん咲き進んでいた。
ここら辺りでは、今日か明日、満開かな。という感じ。
つばめの声も二週間ほど前から聞けるようになっている。
ひとりひとりに、何があっても、季節はめぐっていくんだ。
むーやんが、亡くなってから、わが家はとても静かになったまま。
それでも、毎日の生活は続いていくのだから、いつかはむーやんがいないことに慣れていくのだろうと思ってはみるものの、
みんなが、むーやんのいた場所をふと見やって、姿を探してしまっているのが、わかる。
そして、それぞれが、むーやんがいない寂しさをそれぞれが、自分の心の中でおさめようとしているのが、わかる。
私はと言えば、自分の用事で出かけていた間に
むーやんをひとりぽっちで旅立たせてしまったことを 悔やんで、そこから抜け出せず、
それでも生活を維持するためには、家を空けて、何かをし続けなければならない現実が、苦しくて、どうしたらよいのか、途方に暮れている状態。
何かをしていても、常に、こうしている間に、家に置いてきている子たちに何かあったらどうしようと、
自分がやっていることに全然身が入らないというか、上の空というか…。
それでも、何もしないで、家に引きこもっているわけにはいかない自分。
むーやんをひとりぽっちで旅立たせてしまった、私のこの罪は自分で背負っていくしかないのだ。
自分の人生を終えて、むーやんのもとに行くとき、むーやんは、私をゆるしてくれるだろうか?そんなことばかりを思う。

これは今日の昼頃のお寺のしだれざくら。
誰がいなくても、何があっても、季節はめぐっていくんだ。
ひとつひとつの命や出来事なんて、ほんの小さなこと。
今日が3回目の命日になる、仕事仲間のお墓参りをして、
むーやんの命日から3週間めになる、
今日の空と桜を見上げて、
目に映る桜も、いつも同じように見えるわけではないんだな。と、
これから毎年見る桜には、またひとつ違う自分の想いが加わったんだな。と思った。