猫と犬と。閑かに暮らす。 -4ページ目

猫と犬と。閑かに暮らす。

猫たちと犬たちと、静かに毎日を過ごして生きたいと思っています。人間嫌いなんだと思います。日々のこと、感じたことを書き留めていきます。

日々、色々なことはあるけれど、

なんとなく、心は動かなくて、淡々と時間だけが過ぎていく感じ。

書き残しておきたいことが、あるような、ないような…。
何日間かを振り返っても、何をしていたのか、あまり思い出せない感じ…。


ネットのニュースでこのライオンさんの優しい表情に心を奪われ、記事を読めば、このライオンさんが亡くなったというもの…。

本当の優しさに出会いたい。
私を本当に必要としてくれているものに出会いたい。

むーやんが亡くなってから、空虚?な感じから抜け出せない。

一途に、まっすぐにこちらを見上げてくる眼差し。
私を呼ぶ柔らかな声。
信頼を全身で表すしなやかな体。
それでいて、自立したマイペースな生き方を持っている。

その一途な信頼と愛情に答えたくて、がんばる事が出来ていた気がする。

何を原動力にして、がんばっていけばいいのか、わからなくなっている。



「世紀の曲がり角」
そんなタイトルの曲があったと、元号が替わるのに際して思い出した。

世紀と言うのとは違うけれど、私にとっては、自分が老いへ向かう曲がり角でもあるようにも思い、感慨深い。

それを自分の中に落とし込むのに、ちょうどよいタイミングで、「令和」の時代が巡って来る。

「自分の時代ではないな。」となんとなく思う。
それでいい。そういう齢廻りなのだから。

「Turn of the century」
今になってこの曲を思い出す。

振り返ってみると、本当に『No music No life』な自分だったな。

19時のNHKニュースからの続きでなんとなく見始めた『紅白歌合戦』の振り返り番組、
これも、とても感慨深かった。

また、令和の時代を生きていく。
自分のペースで。

平成最後の写真は何にしようかな…。

わんこ散歩で偶然見つけたみどりの桜にしようかな。
10年以上もそこを散歩していたのに、この春初めて気がついた。
来年からは毎年会いに行こう。




むーやん、一緒に新しい時代をのんびり
生きていきたかったな。とやはり思ってしまうよ。


ここから追記。

娘が連休で帰省中。
SDカードが壊れて、記録が残っていないだろうというのを、無理に「何とかなるかもしれんやん?」とむーやんの動画を探してもらった。

「むーやぁん」「おかん」とおしゃべりしている動画ではなかったが、娘が撮ったむーやんの動画を見つけてくれた。

もともと、カメラを向けるとおしゃべりをやめてしまうので、おしゃべりが撮れていないのはしかたないとしても、生きて、動いている、むーやんの姿を見ることが出来て何よりうれしい。

突然のお別れで、なんの準備もできていなかった。もう、会えなくなるなんて、これっぽっちも思わなかった。

自分の中で、どんなに消えない思い出のはず、と思っても、いつか、むーやんの記憶が薄れてしまうのがこわかった。

2分足らずのむーやんの動画。
なくさないように、しっかり保存して、私の大事な大事な宝物にしていこうと思う。


この写真は先週末のもの。ご近所のお寺のしだれざくら。

今日もずいぶん暖かくて、朝見た桜とのと夕方見た桜とでは、ずいぶん咲き進んでいた。
ここら辺りでは、今日か明日、満開かな。という感じ。
つばめの声も二週間ほど前から聞けるようになっている。
ひとりひとりに、何があっても、季節はめぐっていくんだ。

むーやんが、亡くなってから、わが家はとても静かになったまま。

それでも、毎日の生活は続いていくのだから、いつかはむーやんがいないことに慣れていくのだろうと思ってはみるものの、

みんなが、むーやんのいた場所をふと見やって、姿を探してしまっているのが、わかる。

そして、それぞれが、むーやんがいない寂しさをそれぞれが、自分の心の中でおさめようとしているのが、わかる。

私はと言えば、自分の用事で出かけていた間に
むーやんをひとりぽっちで旅立たせてしまったことを 悔やんで、そこから抜け出せず、

それでも生活を維持するためには、家を空けて、何かをし続けなければならない現実が、苦しくて、どうしたらよいのか、途方に暮れている状態。

何かをしていても、常に、こうしている間に、家に置いてきている子たちに何かあったらどうしようと、
自分がやっていることに全然身が入らないというか、上の空というか…。

それでも、何もしないで、家に引きこもっているわけにはいかない自分。

むーやんをひとりぽっちで旅立たせてしまった、私のこの罪は自分で背負っていくしかないのだ。

自分の人生を終えて、むーやんのもとに行くとき、むーやんは、私をゆるしてくれるだろうか?そんなことばかりを思う。


これは今日の昼頃のお寺のしだれざくら。

誰がいなくても、何があっても、季節はめぐっていくんだ。

ひとつひとつの命や出来事なんて、ほんの小さなこと。

今日が3回目の命日になる、仕事仲間のお墓参りをして、 
むーやんの命日から3週間めになる、
今日の空と桜を見上げて、

目に映る桜も、いつも同じように見えるわけではないんだな。と、

これから毎年見る桜には、またひとつ違う自分の想いが加わったんだな。と思った。