猫と犬と。閑かに暮らす。 -2ページ目

猫と犬と。閑かに暮らす。

猫たちと犬たちと、静かに毎日を過ごして生きたいと思っています。人間嫌いなんだと思います。日々のこと、感じたことを書き留めていきます。

2021年の始まり。

おぴゅんたくんが亡くなってからブログを書いていない私は、何をきっかけにブログを書き始めたらいいのかわからなくて。

それでも、ブログを書かない間にも色々なことがあって、そこをすっとばして、また、今日ブログを書くのも何だか、すっきりした気分になれなかった。

でも、おぴゅんたくんが亡くなったことや、それ以前に一緒に暮らして、そして見送った大事な猫さんたちのことで気がかりだったことを、今日、ひとつ解決?させたので、 
その事を書くことが、ブログ再開できるきっかけにできるのではないかと、書き始める気持ちになれた。

それはどういうことかというと、
『ペットと一緒に眠れるお墓』を契約?したこと。

ずっと心のどこかで気がかりだった、 

自分の眠る場所。
人生の伴侶だった犬猫さんたちとともに休める場所はないか。
自分の好きな場所で、ペットと共に。
ずっと願っていた。

もちろん、バツイチ独身の私には、そんなに立派なお墓を構えられる程の持ち合わせはあるわけもなく、
でも、身の丈にあった、
そして、願ってやまなかった犬猫さんたちを連れて休める場所。を見つけることができた。

仕事を含めて、置いて出かけることばかりだった。
あの子たちとずっと一緒にいられる。
こんなに幸せなことはない。

少し肩の荷が軽くなった。
残りの人生を少し軽やかに過ごせる気がする。

この記事にどの写真を載せよう。。

年末に娘と鎌倉を散策した時の 記念の品。





コロナ禍。。
そんな時があったね。なんて話す時がいつか来るだろう。






おぴゅんたくんが体調を崩したのはコロナ禍の最中だった。

いつも通り朝ごはんを食べにやって来て、お腹の異様な膨らみに、血の気がひいた。
腹水…?!
朝ごはんを食べて病院へ。

その日が5月1日だったから、息を引き取った5月22日まで、本当に辛そうだったのは、約3週間。

遺伝性の多発性腎のう疱?肝臓のう疱?慢性腎不全?どの病気だとしても、悪い予後しかないし、腹水?FIP?であったかもしれない。

腎臓も肝臓も生きているのが不思議なくらいの状態だと言われていたし、手の施しようがないと言うのは、予感的にわかっていたと思う。

それでも、やはり、お別れはいつも辛い。
これでよかったんだ。と思えるお別れができたことがない。

今回もそう。

コロナ禍とおぴゅんたくんの病気は何の関係もなかったが、自分の仕事がコロナ禍がらみだったことと、その最中、実家の両親の入院、介護が起こったことで、わが家の日常が不安定になった。

その不安定さがおぴゅんたくんにどう映っていただろうか? 

ストレスが引き金になるという、FIP。
もし、わが家の不安定さがおぴゅんたくんの発病の元になっていたとしたら…。
思いは悪い方へ悪い方へとしか向かわない。

何が原因だったのか、わからないまま、色々な臓器が機能が悪すぎるまま、おぴゅんたくんは
亡くなってしまった。

確かに原因がわかったところで、何に関しても手の打ちようがなかったのだし、
原因を突き止めることにもさして意味はなかったのかもしれない。

ただ、FIPだったのだとしたら、残された子たちが同じことになってはいけない。

そう思って、おぴゅんたくんの使っていたおトイレを心を鬼にして、片付けた。

そのおトイレには尿閉に近い状態でも通い続けたおぴゅんたくんの足跡が小さなくぼみになって残っていた。

私は、それがいとおしくて、いつまでもそのまま、残しておきたかった。

でも、もし、FIPであったなら、おトイレやベット類は片付けなければ…。

おぴゅんたくんの足跡の残っていた砂を泣く泣く片付けた。

写真だけでも撮っておきたかったけれど、トイレの砂の写真を…?と思って、思い切って片付けてしまった。

自分で考えてやったことなのに、悲しくて悲しくて、今になって、おぴゅんたくんの生きていた証を自分で消してしまったことが、後悔されてならない。

そして、新しくしたおトイレは誰も使ってくれないと落ちまでついている…。

正常な思考力がなくなっている気がする。
やることやること、行き当たりばったりで、自分でも情けない…。


昨日、5月22日、おぴゅんたくんが息を引き取りました。
我が家の歴代5頭目の猫で、14歳。もう少し長く生きさせてあげたかったと思います。

コロナ禍。自分の父が脳出血のため入院。実家に残された母の生活介護。という、今までの人生の中で、一番に近いくらいいっぱいいっぱいの毎日の中で、体調を悪くしたおぴゅんたくん。

十分におうちで見てあげられなくて、入院をしてもらって、病院に様子を見に行くことで、それで安心しているところがあった。

もう、手の施しようがないとわかっていて、今週末は家に帰って静かに過ごそうと、迎えに行った。

そこには、症状が急変して、危篤状態、もう意識がなく人工的に生かされて、ベットに横たわったおぴゅんたくんがいた。

一昨日、夕方会いに行った時、ずいぶん鳴いた。ああ、鳴くことができるくらい、少し楽になったんだね。と思った。それじゃあ、明日、
迎えに来るよ。週末はおうちに帰ろうね。と言って帰った。

あの時、おうちに帰りたかったんだね。あんなに訴えていたのに。

最期の最期におぴゅんたくんの
思いに答えてあげられなかった。

危篤状態で、機器に繋がれた状態のおぴゅんたくんに 「お迎えに来たよ。おうちに帰りたかったんだね。もっと早く迎えに来ればよかった。ごめんね。」と声をかけたら、声にならない声でひと声鳴いた。

それきり、もう、反応はなかったと思う。

おぴゅんたくんは、息を引き取って、おうちに帰ってきました。

おぴゅんたくん、本当にごめんね。
本当に辛いときに病院にひとりぽっちでいさせてしまって。

週末、おうちに帰って過ごす準備を整えたりしてなかったら、もっと早く迎えに行けたのに。


今はごめんねの言葉しか出てこない。

でも、おぴゅんたくんをお空に還したら、
少し落ち着いたら、おぴゅんたくん、我が家に
来てくれてありがとう。君は幸せだったかな?と、お空に問いかけてみようと思う。

今までも、これからも、ずっと一緒だよ。
一緒だった毎日をありがとう。
君はすてきな子だったよ。