今日の大阪も肌寒い一日でした。気温が下がると血流が悪くなり、手術した腕がむくんで大変です。今日は腕にサポーターを付けて仕事をしていたのですが、お客様から「どうしたんですかっ」を連呼され、ちょっと困りました(笑)
10日間の入院生活も無事終わり、やっと自宅に戻ることが出来ましたが、手術した腕は当分使い物にならず、家事は岡山から大阪に出てきてくれていた実母に任せきりでした。
それよりも店長Tanimayuは一刻も早く仕事に復帰したくて焦っていました。当時勤めていた専門学校の非常勤講師の仕事先は融通の利く学校で、退院後も無理のない範囲で復帰させてくれるという寛大な職場でした。
3月初旬に入院し、4月中旬の新学期スタートまでに普段通りの生活に戻れれば仕事も出来る・・・そう思っていました。・・・しかし、家族の猛反発にあいました
確かに、左腕はまともに動かない、その後の治療方法によってはどの程度の副作用が出るかわからない状況でしたから、家族の心配は相当なものでした。しかし、店長Tanimayuにとっては普段通り仕事を続けることが一番の薬だと思いました。
27歳は女性にとってある意味分岐点になる年頃だと思います。家庭に入って家族との時間を重視するか、仕事のキャリアを積重ねて30代に備えるか・・・当時、店長Tanimayuには子供がいませんでしたし、生涯現役でバリバリ働きたいと思っていましたから(単に主婦業が向いていないのかもしれません)、仕事を休業するなんて考えられませんでした。
家族会議もしましたし、結婚して2年しか経っていませんでしたが、離婚も考えました。本当に悩みました。自分では単純に「仕事を続けたい」と思っているだけなのに、何でこんなに家族の猛反発されるのだろう・・・
最終的に、半年間療養のために仕事を休むという結論になりました。退院してからの治療は、25日間毎日放射線療法を行いガン細胞を叩くこと、抗がん剤は使用せず、投薬によるホルモン療法をすることになりました。
まずは最初の難関、25日間毎日放射線療法です。月曜日~金曜日まで、朝9時に病院に行き、着替えを含めて5分程度で終わるのですが・・・毎日通院するのが大変です。たまたま旦那の職場と病院が近かったので毎日車で送ってもらいましたが、時間と費用の消費は相当なものでした。
※2005年10月25日記述 過去ブログから再掲載
10日間の入院生活も無事終わり、やっと自宅に戻ることが出来ましたが、手術した腕は当分使い物にならず、家事は岡山から大阪に出てきてくれていた実母に任せきりでした。
それよりも店長Tanimayuは一刻も早く仕事に復帰したくて焦っていました。当時勤めていた専門学校の非常勤講師の仕事先は融通の利く学校で、退院後も無理のない範囲で復帰させてくれるという寛大な職場でした。
3月初旬に入院し、4月中旬の新学期スタートまでに普段通りの生活に戻れれば仕事も出来る・・・そう思っていました。・・・しかし、家族の猛反発にあいました
確かに、左腕はまともに動かない、その後の治療方法によってはどの程度の副作用が出るかわからない状況でしたから、家族の心配は相当なものでした。しかし、店長Tanimayuにとっては普段通り仕事を続けることが一番の薬だと思いました。
27歳は女性にとってある意味分岐点になる年頃だと思います。家庭に入って家族との時間を重視するか、仕事のキャリアを積重ねて30代に備えるか・・・当時、店長Tanimayuには子供がいませんでしたし、生涯現役でバリバリ働きたいと思っていましたから(単に主婦業が向いていないのかもしれません)、仕事を休業するなんて考えられませんでした。
家族会議もしましたし、結婚して2年しか経っていませんでしたが、離婚も考えました。本当に悩みました。自分では単純に「仕事を続けたい」と思っているだけなのに、何でこんなに家族の猛反発されるのだろう・・・
最終的に、半年間療養のために仕事を休むという結論になりました。退院してからの治療は、25日間毎日放射線療法を行いガン細胞を叩くこと、抗がん剤は使用せず、投薬によるホルモン療法をすることになりました。
まずは最初の難関、25日間毎日放射線療法です。月曜日~金曜日まで、朝9時に病院に行き、着替えを含めて5分程度で終わるのですが・・・毎日通院するのが大変です。たまたま旦那の職場と病院が近かったので毎日車で送ってもらいましたが、時間と費用の消費は相当なものでした。
※2005年10月25日記述 過去ブログから再掲載