1999年9月9日
世紀末だから何かが起こる~
ノストラダムス~
っとふざけて話していた母が
翌日突然なくなった。
本当に突然で驚いた。
52歳だった。
以前から喘息もちで
吸入ステロイドの副作用のせいか
発作や動悸があったようだが
家族にはそんな姿は
一切見せようとしなかった
頑固で気丈な母だった。
私が病院にいこうと勧めても
長時間待たされるのがイヤだと
いつも断っていたが
夜間の発作が増えてきて
本格的に心配になってきたので
病院を無理やり予約して
連れて行こうとした矢先の出来事だった。
それは言い表すことが出来ない
ショックだった。
葬儀の時には
黒髪だった父の髪は真っ白になっていた。
母が亡くなって
母の偉大さが身にしみてわかった。
私も 父も 妹も 弟も
母に頼りきっていて
母がいなくては何も出来なくて
母がいなければ 家族は
話しさえまともに出来ない
まったくまとまらなかった。
私は24にもなって
家事がまったく出来ない
米を研ぐことすらまともにしたことがなかった。
病気を抱えて苦しむ母に
仕事も家事もやらせていた。
孫の顔はもちろん
花嫁姿すら見せてやれなかった。
「親はいつまでも生きていてくれるものだ」
と思っていた。
友達と遊んだり、飲みに行ったりが楽しくって
母と買い物や食事に行ったりなどと
親孝行は全くしてあげられなかった。
亡くなる数日前に
珍しく母と食事に出かけた。
普段はお酒を飲まない母が
ワインを飲み
私が数ヶ月前に友人といった
オーストラリアの話を聞きながら
うれしそうにほほを赤らめていたのを思い出す。
お父さんが死んだらその保険金で
マンションを2部屋買うから
お隣さんはあなたたち夫婦よ
そういってくれた母。
もっと一緒にいたかった。
もっと親孝行してあげたかった。
いっぱいいっぱい後悔した。
そして今思う・・・・
もしかしたら
母が抱えていた病気は
喘息だけではなく
私と同じ「サルコイドーシス」だったら・・・・・
発作を起こしながら仕事をし
病気と闘いながら
よいしょよいしょと家事をして
お風呂に入ってくたびれて
自分の身支度をするのもひと苦労で
ステロイドを肌身離さず持ち歩いている
母の姿と
今の自分が重なる。
わたしは
生きたい。
そして
まだ見ぬわが子には
母のいないこの寂しさを
私と同じ思いを
させたくはない。
この病気を
治してくれる薬ができる日が
きてくれることを
願って・・・・