奥村來未としてライターをしています
そして
二つのサイトが連携しています。
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Mackを東京から連れてきて、色んなところや、 病院にも連れて行ってくれた、今の愛車。
沢山沢山、思い出とMackのつけた汚れがつまって
免許を取ってからは主に私がハンドルを握るようになって、愛情と感謝の気持ちが沢山の今の愛車。
この愛車もまた、Mackの老いと娘の成長を見守ってくれた子です。
私は物にも愛着のわきやすい性分で、夫には理解されないのだけど…
この度、車検を控え、維持費のほうがかかるようになってしまったことと
震災を経験し、車内で眠れる車が欲しいとのことで…
今までの愛車とお別れすることになりました。
納車は年度末なので、もう少し今の愛車と過ごしますが…
別れの日がおおそよ決まってしまった今、新しい車へのワクワクと、今までの愛車と別れる寂しさがあります。
本当は、車を新しくする前にMackが帰ってきてほしかったけど、今変えないと、車検が切れる前に乗り換えできないの
ありがとう、ワゴンRさん。
事故したりぶつけてごめんね。
九年で13万キロ、頑張って走ってくれてありがとう。
ワゴンRさん。
お別れのときまで、ドライブいっぱいしよう。
Mackさんもついてきてくれるかな?
僕は、眠いでーす
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毎日老犬介護に忙しいママ&パパさん
いつもお疲れ様です。
これから老犬介護に突入しそう、突入したてのママ&パパさん
大丈夫、大丈夫・・・大丈夫ですよ。
愛犬・愛猫・・・そして人間たちも
沢山の涙を流し、困惑する介護。
私も2016年9月26日~2017年10月20日まで老犬介護をしていました。
娘が小学生にあがったばかりの頃で、そして毎日のように何かができなくなることがとても悲しく、そして恐ろしく思っていました。
私とMackは、「姉」と「弟」という関係です。
11歳の夏、蝉の鳴く暑い暑い夏に、Mackは家族になりました。
共に育ち、”子供”から”大人”になりました。
お互いに”できないこと”が”できること”へ変わっていきました。
私が母になってからは、娘の成長を見守ってくれました。
娘が3歳くらいになったころ・・・
娘の”できないこと”が日々減る一方で、少しづつMackの”できないこと”が増えていきました。
はじめは白内障が進み全盲になりました。
全盲になると、音を頼りになんとかこなしていた、取ってこい遊びもやらなくなっていきました。
最後にはオモチャをかじることもなくなりました。
「散歩」という言葉に反応しなくなり、外に出てもリードありで歩かなくなりました。
リードを外し、芝生の上に立つと、グルグルと同じところを回り、臭いを楽しむように徘徊をしていて、手を叩くと音のほうへ一生懸命歩いていました。
次第に、手を叩いても近くへ来てくれなくなりました。
前庭疾患になり、歩けなくなってからの老いは、坂道を転がるように早く
あっという間に寝たきりになり、寝たきりになると新生児のように、自分で”できることは”無くなっていきました。
出来なくなることが増える度にはじめは困惑していましたが
本当に困惑しているのは本犬だと気づいてからは、一分一秒を大切にしました。
介護を楽しむ努力をしました。
それでもイライラしてしまうときもあったけど、寝顔を見ると嘘のようにイライラは吹き飛びました。
老犬だからと家に引きこもらず、機嫌がよく下痢も無い、食欲もあるときは積極的に出かけました。
おかげで脳疾患があり獣医に認知症っぽいと言われても、刺激のおかげか表情は豊かでした。
家に居ると機嫌が悪くても、出かけるとずっと笑っていました。
その姿をみて、家族全員が幸せな気持ちになっていました。
介護中期~後期は・・・
介護は神様が与えてくれたボーナスタイムだと感じてました
そして、愛犬が老いていく姿を見られることは幸せなことで、”できなくなること”を目の当たりにするのは心の準備のためだと感じていました。
今、愛犬Mackは虹の橋に居ます。
今の気持ちは、Mackと暮らしていた頃想像したよりも穏やかです。
それは、介護を“させてもらえた”から。
そしてその介護を“楽しめた“からだと思います。
眠れなくて辛くもありましたが、それも悲しいことに永遠ではありません。
どんなにイライラしても、別れを迎えると、「私はもっと頑張れたんじゃないか」と感じます。
辛いとき、苦しい時は、吐き出せばいいんです。
今の時代は幸せなことに、SNSを開けばいつでも話を聞いてくれる人がいます。
会ったことがない人に、何度救われたことか。
その節はありがとうございました。
愛犬の介護って、楽しいですよ
眠いけど、ね♪
そして
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どこかで、「Mackが居ない」と信じられない自分が居ます。
確かに腕の中で冷たくなったし、確かに火葬したんだけど、ね。
ふとテレビを見ていても、すぐ横でMackもコタツに入って寝ている気がする。
人生半分以上Mackと暮らしてきて、そばに居るのが当たり前になっていたから。
特に介護中は、留守番もさせないで、出かける時も一緒だったし。
布団に寝てても、こうやってどこかに居るんじゃない?
どこかに鼻さして寝てるんじゃない?って。
そう思って、夜耳を澄ましてみても、聞こえるイビキはパパのだけだし、他の音は秒針のカチカチだけなんだけどね?
なにか怖いことがあっても、「Mackが居るから大丈夫」って思ってる。
どこにいても、なにをしてても、側に居るって思ってる。
でも、小さい身体のくせに、布団のスペースいっぱい使って寝ていて、人間たちが小さくなって寝ることや
口座にお金がそれまでより多く残っていることが、やっぱり居ないんだなって思って寂しいです。
僕、見えないかもしれないけど…
いちゅも姉ちゃんのそばに居るよ![]()
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Mackさんの祭壇を、マクドナルド
の福袋の中身で飾りました
いままで↓
明るい祭壇になりました


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