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飛鳥時代、遣隋使として隋に渡った小野妹子。

彼は、607年、100年以上途絶えていた日中間の外交関係を、推古天皇のもと復活させた人物であり、日本の歴史上に今なお名を残す偉人でもある。

そんな妹子だが、隋の皇帝・ヨウダイから賜った国書をなくしてしまうという大失態を犯したことは、あまり知られていない。

その理由は「帰国途中に百済の人々に襲われて、国書を奪われてしまった」から。

朝廷ではその失態に対して処罰を望む声は少なくなかったが、推古天皇は彼を赦した。

本来であれは処罰されてしかるべきなのに、なぜ彼女は妹子を赦したのだろうか。

この事件の根本的な原因は、日本が隋に献呈した国書にあった。

日本を”日の出のようにこれから栄華を極めようとしている”、隋を”日が沈むように衰退していく”ように例えた「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という文面に、隋のヨウダイは憤慨。

他国を見下しながら外交を進める日本を非難した文書を、小野妹子に手渡した。

妹子はこの文書を見て思い悩む。

隋の皇帝を怒らせてしまったことが明らかになれば、推古天皇の立場がないと考え、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、その国書を捨てたのだ。

妹子が機転を利かせたことを察した推古天皇は、彼の不処分を決定。

国書紛失事件は推古天皇と妹子による”完全犯罪”だったのである。