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607年、遣隋使として隋へ渡った小野妹子。

だが、彼より7年も前に隋へ派遣された人物がいた。

妹子の渡航が記された「日本書紀」には”600年の遣隋使”の記録はない。

だが、「隋書」の東夷伝倭国条によると、この”600年の遣隋使”は隋の文帝に倭国の政治や風俗についての話を伝えたという。

ところが文帝は、それを「義理のないもの」と評した。

これを”蛮夷な国”と侮辱されたと受け取った倭国は、「日本書紀」への記録を見送ったというのだ。

その後、607年に小野妹子が隋へとへと渡り、帰国することになるのだが、”600年の遣隋使”と違って彼は隋の使者を伴って帰国。

隋は高句麗と大和政権が結束しないよう、良好な関係を結ぼうとしたのである。

結果、友好の証しとして隋の使者を連れて帰ってきた妹子は、政権の期待に答えたことになる。

この功績が評価され、「日本書紀」に”初めて”の遣隋使として記録された…というのが、遣隋使を巡る真実なのだ。