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天武天皇には10人の皇子がいたが、後継者候補となったのは、そのうちの二人だった。

それは草壁皇子と大津皇子。

年齢から考えると草壁皇子が有力だったが、彼は病弱が難点。

その点、大津皇子は文武両道で周囲の評判も高かった。

天武天皇が悩んだ結果、選んだのは草壁皇子だったが、大津皇子を後ろ楯として政治に参加させ、禍根を残さぬように取り計らった。

だが、天武天皇が死を迎えると、生前の思いも虚しく、皇位継承問題が巻き起こった。

そして、死後1ヶ月も経たないうちに、大津皇子は謀反の疑いで逮捕。

その翌日に処刑される。

謀反の動機としては、皇位を狙ったというのが第1に考えられるが、政治に参加する権利を得ていたため、謀反を起こすメリットは少ない。

それに、天武天皇の正妃・ウノ野皇女の監視下では、謀反は不可能に近かった。

そこで巻き起こったのが冤罪説である。

黒幕は草壁皇子の母であるウノ野皇女。

皇位を握れるだけの実力と人気がある大津皇子は、草壁皇子が皇位を継承するには邪魔な存在だった。

謀反に見せかけて殺すことによって、草壁皇子の地位を確実なものとしたのだ。

だが、草壁皇子も即位前に死去。

すると、ウノ野皇女は自ら持統天皇として即位したのである。

何という巡り合わせであろうか。

この一連の出来事が偶然とは、とても考えられない。