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天智天皇の息子である大友皇子と、同母弟である大海人皇子(後の天武天皇)が激しい戦いを繰り広げた壬申の乱。

原因は皇位継承問題だといわれるが、本当はもうひとつ理由がある。

それが天智天皇と大海人皇子、そして絶世の美女として知られる万葉歌人・額田王(ヌカタノオオキミ)の三角関係である。

もともと額田王は大海人皇子と結ばれていたが、天智天皇がその間に入り、額田王を奪ったのだ。

その関係は万葉集に残された和歌から推測される。

その和歌こそが、この2首である。

「茜指す紫野行き野守は見すや君が袖振る」(立ち入り禁止の紫野を行き来しているあなた。野の番人に見咎められはしないでしょうか。あんなに私に袖をお振りになったりして)

「紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆえに我恋ひめやも」(紫草のように美しいあなたよ。憎く思うなら人妻と知りながらあなたに恋などするだろうか)

前者は額田王、後者は大海人皇子が詠んだものである。

額田王は御料地を通って会いに来る大海人皇子への思いを綴り、大海人皇子は天智天皇の”妻”である額田王への愛を詠っている。

この三角関係の愛憎が絡み合い、国中を巻き込む戦乱へと発展したのだ。