歌人・清原元輔の晩年の娘で、981年頃に結婚するが後に離別、993年頃から一条天皇の中宮定子に仕えた。
明るく機知に富み、才気溢れる清少納言は、定子の寵愛を受ける一方、公卿たちとも交わって宮廷生活を謳歌した。
そうした生活の記録を作品としてまとめたのが彼女の代表作「枕草子」である。
清少納言は日頃から、何がなんでも一番と思われていたいと、定子に心中を語っていたという。
どうやら平安時代を代表する才女の実像は、勝ち気で高慢な女性であったようだ。
そんな清少納言も、定子の死によって庇護者を失うと、宮廷を去るハメになった。
再婚もしたようだが、晩年はすっかり落ちぶれたとされる。
後年、ある公家が彼女の住む郊外のあばら屋の前を通りかかった時、落ちぶれた生活を哀れんでみせた。
すると清少納言が老いた顔を出し、「駿馬の骨は買い手がある」と切り返したという。
骨となっても貴ばれる名馬に自らを例えたのだ。
落ちぶれてもなお変わらない、清少納言の勝ち気な性格をよく表したエピソードといえよう。
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