
崇峻(スシュン)天皇が殺害された後、蘇我馬子と炊屋姫(カシキヤヒメ)が次期天皇を誰にするかで協議したが、馬子が聖徳太子こと厩戸(ウマヤド)皇子を、炊屋姫が我が子の竹田皇子を望んでまとまらなかった。
そこで「繋ぎ」として推古天皇が即位したが、その実態は蘇我氏に操られた傀儡(カイライ)天皇であった。
現在の説

推古天皇の在位は36年であり、その前のキン明天皇、敏達天皇、用明天皇よりも長いことから、推古天皇は厩戸皇子と組んで馬子を牽制しながら長期政権化を図り、憲法十七条や冠位十ニ階の制定を成し遂げたとされ、傀儡ではなく有能な天皇であったという説が唱えられている。
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