マグマバッカス


平成30年の夏に惜しまれながら解散した札幌のコント師。


私おちばなが全力で推していた札幌よしもとの芸人。


初めてネタを見たのは、

今でも忘れないヨシキ君が真っ青になって出てきた


「なんだこいつら


それが全ての始まりだった。


ライブ帰りにはファンに囲まれていて、


「人気なんだ。まぁおばさんの私には関係ない」と思った。


突如始まったツイキャス。


マグマバッカスが二人がツイキャスを始めた。

はじめに言っておくが、二人のトークは絶望的にダメだった。

今でもフリートークライブで聞いていて変な汗をかいたことを思い出す…w


伝わってくる向上心。カオスofカオス


マグマバッカスの二人の気持ちが伝わってきた。


「話しかけてみたい」


興味が湧いた。ひと回りも年が離れているも男の子に。


路上ライブがあるというから一人で観に行った。

帰りにセレン君に接触してみた。


気さくに話しかけてくる男の子。

まだ青年とは言えない。本当に若さがいっぱいいっぱいで眩しかった。


チケット一枚とノルマチケットの書いた付箋をくれた。


ライブに行きつつも、なかなかヨシキ君に接触でぎずにいた。


しかしチャンスはやってきた。

はしゃぎすぎてiPhoneでバーストした


以前にも書いたが、

この時期私は格闘ゲームに行き詰まっていた。

彼らのネタを見るうちに魅せられていった。

彼らの可能性は素晴らしかった。

格ゲーで負けてもマグマバッカスのネタを見て頑張れた。

今でもとても感謝している。


いつの間にかファンになっていった(おっかけ)


学生服がまだまだ似合うマグマバッカス。



マグマバッカスのために何か出来ないか?とこっそりハッシュタグを作り、お笑いライブレポを書き始めた。


「他にも札幌よしもとにもこんなコンビがいるんだ。」


その時は漫才はnifuが好きだった。

現在のスキンヘッドカメラだ。

コント師がマグマバッカスしかいなかったので、とても目立っていた。


笑道という月一のライブでは、

面白い芸人にお客さんが票を入れて、合計ポイントを競い合い最終的に大きな会場でネタを権利を手に入れるために、みんな頑張っていた。


マグマバッカスは他の芸人さんと違ったのは、

毎月新しいネタを笑道で披露した事だ。


ポイントが欲しいなら、

違うライブで試して笑道に、ネタを持っていくのが安定です。


正直痺れた

そして自分達のネタに自信がないと出来ないと思う。それもかっこよかった


セレン君は天才。しかし、天才の事を理解できるヨシキも天才byゾンキー




笑道頂上決戦を終えて、マグマバッカスは活動休止に入ってしまった。


その間は、ヨシキ君がピンで頑張っていました。

残念ながらコンビ解散しました。

いろいろ葛藤はあったと思う。


でも、マグマバッカスの成長を過程を見れた事は私にとって幸せでした。

たまに、ネタを見るとこんな事で二人が喧嘩したりしていたなぁとふっと思い出して笑ってしまう。


もし、もう一回ネタが見れるなら

野口観光のネタが見たいね。


営業のネタで、ヨシキ君が

「いつも同じネタですいません」って謝ってくれた事を思い出す。

本当にいい子達だった。


ヨシキ君は社会人として、セレン君はラジオを放送して頑張っている。 


https://radiotalk.jp/program/51690


ゾンキーさんは箱推しかもしれない。

私はマグマバッカス推しなんだ。

それは、今もこれからも変わらない。

例え芸人を辞めてもマグマバッカスを応援している。

二人が幸せな毎日を過ごしていることを願うばかりです。