未来記事を書く行為は、メリットはあってもデメリットがありません。
特に毎日更新している事に見せられるのは、大きな利点なのです。

1日1記事にした方が管理し易いのは以前述べた通り。
そしてもう1つ、挙げ損ねていた点として“周りからの目”があります。

私は毎日更新している訳ではありません。
これはもう、自明の事ですよね。
しかしながら、後続の読者にはそれが何時書かれたものなのか、
その正確な時刻を割り出す術が存在しません。
結果として私は恰も毎日頑張って更新しているかの様に思わせられるのです。

私は常々、他者満足を重んじるべきだと説いています。
理由は簡単、自己満足と他者満足の比が1:65億だからです。
“自分さえ良ければ良い”は数値的な部分で否定し得るのです。

勿論、自分も満足する事が出来れば、それがベストですよね。
他者の満足ばかり考え、苦しい思いをしたら本末転倒というものですから。
故に、両者の落とし所を両天秤に掛けた手法を執っているのです。

“そんな大袈裟な”と思ってはいけません。
インターネットの世界は地球全体規模なのですから、
そこで公開する以上は当然押さえておくべき事柄なのです。
今日、周りを見てふとこんな事を感じました。
“余りに現実味が無いと危機感すら憶えない”‥

テーマは身近にあるべきです。
自身で努力した範囲で解決出来る課題ならば、
自力で頑張りますし期限が迫れば焦りも危機感も起こします。

しかし、唐突に1年先の事を言われたら如何でしょう。
それがどんなテーマであっても、
具体的に道筋が立てられる人は僅かなのではないでしょうか?
そして何も案が浮かばない儘引っ張ってしまったとしたら‥

私が周りを見る限りでは、そう感じるのです。

彼等は今迄、レポートや課題もその感覚で処理して来ました。
しかもいざという時は誰かに助けて貰えていたのです。
今回の卒業研究も、この延長線上にあるのかも知れませんね。

彼等には先ず、現実味を持たせてやらねばなりません。
卒業研究は身近な話題性を充分に取り込ませるべきでしょう。
そして、なるべく取っ付き易くする事が重要です。

また、期限を1年では無く1ヶ月や2週間に短縮し、
小さな目標の連続に見せ掛ける事も必須事項でしょう。
恰も単純作業の繰り返しであるかの様に思わせるのです。

でも、こんな手法を執ると学生が機械的に卒業するだけですね。
イマイチ自発的な問題解決能力が育成出来無い気がします。

うーん‥
ここの所、ずっと未来記事を書いています。
この記事の日付は2月1日ですが、今現在は1月22日です。

私は飽く迄思い付いた時に書き、纏めています。
以前とは違い“日記”という形式に拘る必要が無くなった為、
より自由に思いを綴れる様になりました。

それならいっその事日付をズラさずに
1日に何度も更新しても良いのではないかと思われるかも知れません。
ですが、そんな事をしても記事の本質は変化しませんし、
これと言ったメリットも感じません。
それに何より、1日1記事に抑えた方が記事の管理がし易いのです。

1つの記事中に1つの話題しかしないのも、実は同じ理由からです。
色々複合させて語った方が面白いのは当たり前。
しかしそれでは、いざピックアップする時に手間が掛かるのです。

ほら、私は最近良く文章中にリンクを張って、
過去の記事を参照させる手法を執っているじゃないですか。
あれはHTMLのリンクシステムを利用したアプローチな訳です。
その時、折角参照させたのにも関わらず
長々と色々と折々と語られていては意味が無いですよね。

まぁそんなこんなで、結論と致しましては、
私にはこの記事の書き方が合っているという事です。